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青天を衝け、30・31回 いろいろ感想!

2022年04月26日 22:27 by katsukaisyu

青天を衝け30・31回

  英一、大蔵官僚へ  

「こんばんは、家康です」の家康さんがタブレットを使用し、廃藩置県はリモート会議の画面と、時代背景はどうなん?なのですが、おもしろい演出でした。ただ、後世の人々はDVDを見たときに、頭の中で疑問符が飛び交うかもしれません。

 西郷が中央政府に再出仕してきました。生まれたばかりの政権、まだまだ先行き不安な状態です。歴史を知っている我々は、1333年の建武の親政とは違い、明治政権は継続したことを知っていますが、現在のコロナ禍同様、現在進行形の渦の中で生きている人々は、この先、どうなるか、さぞや不安だったことでしょう。この時代、まだ、国による福祉という考えは無く(そもそも幕府にも無く)、生活困窮者は自助するしかないですし。その分、共助にあたる、縁家・懇意の者同士の相互扶助の絆は強かったようです。

 明治4年3月、英一たち政府高官が大阪の造幣寮(後に造幣局)に出張してきました。英一は五代と正式にご対面です。造幣寮で、大隈、井上、五代、伊藤、渋沢の面々がそろうって、いいですね。

 宴会場で英一を誘い出した五代は、「日本も変わらないといけない。もっと広く民を豊かにせねばならん。カンパニーを作って、日本の商業を魂から作り変えねばならんと思う」と、告げていました。五代の言葉に、英一の方も、幕府の借款を邪魔した五代を恨みつつも、その生き方に共感していることが伺えました。五代によると、「我々は、気が合うのぅ」とのこと、自分もカンパニーが作りたい英一が、官をやめるきっかけは、このさっさと官を辞めて、我が道を行く五代との出会いだったのかもしれません。

 ディーン・フジオカさん、薩摩弁がお上手です。朝ドラ当時よりも、磨きがかかってきました。

 大阪で、旅館の中居の女性を部屋に引っ張り込んだ英一です。生涯、子どもが25人(一説には50人!)とも言われる英一の片鱗が伺えました。ただ、役人をずっとしていたら、これほどの子沢山を養えることはなかったでしょう。

 かねてから政府の懸案事項だった廃藩置県に話が進んできました。西郷は戦さ覚悟で廃藩置県に臨み、井上も同意、木戸も巻き込んでと、話が一挙に進展。250年続いた藩を潰すのは、それは大変だったことでしょう。金の手当てをどうするかを、井上は英一に任せました。英一ら改正掛は、「やってやりましょう」と、獅子奮迅の働きでした。

 実際、西郷は廃藩置県で戦さになるとふんでいたようで、御親兵を配備しました。一方、大名には年金を付けて、東京へ収集(後には華族へ)、藩士には俸禄を払うで、とにかく各藩は戦うことなく、割合簡単に廃藩に同意しました。明治初期、各藩の内情は積年の借財で火の車で、調所広郷が借金を強権でもって、250年割賦返済にしたことで、ほぼ、借金無しの薩摩藩以外は、皆さん同意。何しろ、藩の借金と藩士の生活を国が肩代わりしてくれるのですから。薩摩藩の国父、島津久光のみは大反発、怒り心頭で、錦江湾に怒りの花火を打ち上げたと伝わります。

 ただ、大名貸しの借金を棒引きされた(全体の4割は政府が肩代わり)、大阪の商人たちは大困窮して・・というのは、朝ドラ「あさが来た」で商人側から見た廃藩置県でドラマ化されていました。脚本家は同じ、大森さんです。大阪の両替商で業態を変えて御一新を生き残れたのは、鴻池本家、加島屋久右衛門(広岡浅子の婚家)、三井両替店ぐらいでした。

 箱館戦争まで戦い、生き延びた喜作が出獄してきました。英一はかなり援助していたようです。明治5年以降、官軍と交戦した旧佐幕派武士団が恩赦になり、世の中に戻ってきました。榎本武揚は処刑も覚悟したようですが、箱館戦争で亡くなった幹部は、陸軍奉行並の土方歳三だけでした。

 栄一は、喜作に「お互い、生き延びたもんだ」と告げ、喜作は「なぜ、政府の役人になっているんだ」となじります。英一の方は「無駄な戦いをした」と喜作を責めますが、これは、大政奉還から鳥羽伏見の戦いの激動の現場を生身で味わった喜作と、フランスにいて、書状で知らされ英一との体感の違いだと思います。北関東から会津、仙台、箱館まで戦ったのは、鳥羽伏見の時に京、大坂に居た武士たちと、無傷のまま残った榎本率いる旧幕府の海軍が主でした。とりわけ一会桑勢力に関わった武士たちは、人一倍、勤王に励み、孝明帝の信任も篤かったと思っていただけに、天皇の代替わりで賊になるのは、承服できなかったことでしょう。桑名藩主で、京都所司代だった松平定敬(松平容保の実弟)は、箱館まで渡り、官軍に抵抗しました。

 五代の大隈への諫言は史実でして、五代は大隈の現状を憂えていました。合本による銀行の設立、造幣寮、富岡製糸場など官営工場の設立と、奮闘している英一です。何をするにせよ、無から有を作り上げるのは、多大な困難を伴いますが、明治政府は日本人のまじめさと、組織力で何とか乗り切っていきました。

 栄一を訪ねて来た西郷と、平岡の思い出を語り合いながら、「新しい世の中を作りたかった」という二人、現状には不満のようです。英一は「おかしろくねぇ」なんだそうです。西郷は故郷に戻り、英一は官を辞める決意を固めていました。これからが、英一の本領発揮です。

 写真は現在の造幣局です。慶応4年3月、大坂川崎村に造幣寮(後に造幣局)が建設されることになり、明治4年(1871)2月に開業式が行われました。式には三条実美や大隈重信、英国公使パークスらが出席しました。2021年は創設150周年に当たります。英一は明治4年3月頃から4か月、造幣寮に出張していました。

 こちらは旧正門です。重い金属を運ぶには、明治期は水運が都合がよく、旧正門は淀川の方を向いて、建てられました。昭和初期に、敷地内を国道1号が通り、正門は国道の方を向いて建て替えられました。  

 旧鋳造工場の正門を移築したものです。英国技官、ウォートルス設計の重厚な門です。これが、まだ、ちょんまげ頭の着物姿が多く歩く町に突然、現れたら、それはびっくりしますわねぇ。文明開化が、当地から始まりました。

 11月1日から新500円玉が流通しました。もちろん、鋳造しているのは、ここ造幣局です。まだ、筆者は見かけていませんが、金銀2色になるとか。貨幣だけではなく、メダルも造幣局で鋳造しています。東京オリンピック・パラリンピック2020のメダルを製造したのも、造幣局でした。金メダルは結構重く、純金で作ると400万円はかかるので、中身は純銀製で、6グラム鍍金をしたそうです。

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