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ザ・戊辰研マガジン

2022年02月号 vol.52 追悼特別版

星先生との出会い、そして別れ 関根則喜(山本覚馬)

2022年02月06日 10:33 by norippe
2022年02月06日 10:33 by norippe

 出会いがあれば必ず別れが来ることは分かっていましたが、いざこのような別れが来ると、本当にもう会えないのかと信じられない気持ちに駆られます。先生とお会いしてから7年という月日が経ちますが、この期間はとても充実した時間でした。
 私が大切にしている言葉に「一期一会」という言葉があります。安土桃山時代に千利休が茶の心得として説き、幕末の大老井伊直弼が四字熟語として完成させたものです。たった一度のわずかな出会いでも、それはたった一度だけの掛け替えのない時間。その日その時その瞬間はもう二度とやって来ない。だからその一瞬を大切にしよう。
 まさに、星先生とお会いする時はいつも新鮮で、そして大切な時間でした。もうその時間はやって来ません。でも先生との大切な時間は、大切な思い出として私の心に残ります。
 もし先生と会わなかったなら、一期一会という言葉すら知らなかったかも知れません。
 そんな大切な先生との思い出の場面を、思い出しながらこのマガジンに綴ってみました。少し長くなりますがご容赦ください。


【みどり書房にて初対面】
2014年10月26日(日)
 先生と初めてお会いしたのは郡山の「みどり書房」で行われた著書「伊達政宗 秀吉・家康が一番恐れた男」の発売講演でした。もともとFacebookでメッセージの交換はしていましたが、直接お会いするのはこれが初めて。
 書店のイベントスペースには聴講者が席を埋め、先生を待っていました。この日は福島県知事選挙があった日で、人出は多く賑わっていました。
 定刻に先生が現れ、そして先生の第一声は「皆さん選挙に行きましたか?」でした。若い人達はまだ行っていないようで、返答に困っていましたが、私は期日前投票を済ませていたので胸を張って応えることが出来ました。
 大盛況のうちに講演が終わり、手に取った著書にサインをもらう人が列を作りました。私は最後尾に並び、そして先生にご挨拶をして本の中表紙にサインをいただきました。先生は「関根さん、遠路来て頂きありがとうございました。」といって握手をしてくれました。
 講演が終わったあと、お孫さんが会いに来られ、笑顔あふれるお爺ちゃんに様変わりした先生のお姿がとても印象に残っています。









【東京八重洲での新年会】
2016年1月24日(日)
 東京駅近くの「北海道」という居酒屋で新年会が行われました。まず、東京駅近くの八重洲ブックセンターに集合。戊辰研の皆さんとお会いするのはこれが初めてで、星先生とは二度目の再会でした。
 書店には数人のお客様がいて、どの方が戊辰研の方なのかわからず、それらしき方に声をかけましたら、その当時の会長である鈴木晋さんでした。その隣には武田泉さん。先生の所在を聞きましたら、どうも上の階にいるらしく、エスカレーターで4階まで上がり、星先生と高橋美智子さん、伊藤さんに会うことが出来ました。先生は椅子に座ってタブレットPCの操作に夢中でした。
 その後、ほぼ全員が揃ったところで新年会会場の「北海道」へと向かいました。店の入口では東北支部長の蔵六さんが合流。多くの参加者で賑わい、楽しいひと時を過ごしました。







【いわき集会】
2016年6月25日(土)・26日(日)
 いわき集会が計画され、地元に住んでいる私にその舵取りが任されたのです。そして東北支部長の蔵六さんは白河からはるばる来られて、私と一緒にコースの下見に歩きました。
 集会当日、集合場所はいわき駅前にある図書館。みなさん久々に会うせいか、嬉しさのあまり大きな声を張り上げ、図書館の係員に注意される場面もありました。
 三台の車で出発となりましたが、星先生は私の車の助手席に座っていただきました。
 最初に訪ねたのは塩屋の岬。美空ひばりの「みだれ髪」のメロディーが流れる碑の前で記念撮影。その後、新政府軍が上陸した平潟港や、磐城平城までの戦いの跡地を訪ねました。いわき市は面積が広いため、史跡めぐりも結構な移動距離でした。
 泉藩の跡地を見学したあと、一日目の史跡巡りを終了することにして宿に向かいました。宿は野口雨情の宿「新つた」。宿の玄関では、番頭を務めている私の友達が迎えてくれました。
 食事の宴では酒が入り、気分も上々。星先生は焼酎派で、特に芋焼酎がお好きなようでした。「先生の呑んでる焼酎は薩摩ではないですか?」と冷やかされる場面もありました。
 食事のあとはひとつの部屋にみんなで集まり、二次会の開始となりました。列藩同盟は何故弱かったのかという話題になり、戦争に負けた鬱憤からか、呑むは呑むはのヤケ酒で大盛り上がりの二次会でした。
 二日目は、小説「超高速参勤交代」の舞台になった湯長谷藩史跡巡りからスタート。新政府軍が磐城平城に攻めいった道筋を辿り、平の街へと進みました。
 清水次郎長に養子入りした天田愚庵の庵、西軍墓地があり戦争当時に野戦病院となった性源寺、平藩主安藤信正の銅像が立つ松ヶ岡公園、藩主や戊辰戦争で散った戦死者の墓のある良善寺、輪王寺宮が立ち寄った飯野磯之進邸、薩摩藩の陣地となった長源寺、そして史跡巡りの最後となる磐城平城を訪ね歩きました。最後はいわき駅ビルにて軽い昼食を取り解散となりました。ハードスケジュールでしたが楽しい旅でした。









【郡山の病院へお見舞い】
2016年8月25日(木)
 星先生が胃の切除をして郡山の病院へ入院されているということでお見舞いに行って来ました。
 病院を訪ねた日、先生は手術が終わって間もない時でしたので、病院から面会受付は拒否されました。何度か交渉をしましたがそれでも断られたため、あきらめて帰ろうとした時、ナースセンターから女性の方が出て来たのです。星先生の奥様でした。そして「大丈夫ですからお入り下さい」と言われて星先生の病室へ案内されたのです。
 ベッドで横たわっていた先生は意識がはっきりしていて、強引に入室した私を笑顔で向かい入れて下さいました。
 その日は白河で執り行われた東北支部長の葬儀の日でした。葬儀の引き出物とお見舞いの品をお渡しし、葬儀の報告をして病室をあとにしました。星先生の奥様がエレベーターで1階まで降りてきて、病院入口で私をわざわざ見送りしてくださいました。





【二本松集会】
2017年4月15日(土)・16日(日)
 東北支部での二度目の集会を任された二本松集会でした。星先生は胃の手術後で体調はあまり良くありませんでしたが、それでも気遣って集会に参加して下さいました。
 史跡巡りに関して先生は何度も訪れているだろう二本松でしたので、現地では車から降りずに休んでいる時間が多くありました。それでも二本松城の少年隊像の前、二本松駅前にある少年像の前での集合写真撮影には積極的に入っていただき、全員で写真におさまる事が出来ました。
 岳温泉(だけおんせん)の宿では先生の食事が気がかりでしたが、「少しずつゆっくり食べれば問題ないし、みんなと一緒だと食欲も出るよ」といって、出された料理をたいらげました。翌朝も朝食をすべてたいらげ、岳温泉の入り口では記念の集合写真撮影に笑顔で参加されました。
 旅の最後の三春城は、急な坂道を徒歩で歩かなければならず、先生は車の中で我々の帰りを待つ事にしました。先生はひとり車の中で読書をしていたようで、何を読んでいたかはわかりません。
 三春の「忠七桜」では地元野菜の無人販売所があり、先生はここで梅干しを買いました。体に気を使っているのですね。私も先生を見習って1パック購入。
 無事史跡巡りを終え一路郡山へ。郡山駅近くのレストランで昼食を取り解散となりました。







【白河集会】
2017年8月26日(土)・27日(日)
 白河の「文化交流館コミネス」で行われた「城フェスタ白河」。このイベントの参加を兼ねて白河の史跡巡り集会を実施しました。
 まずは白河駅裏にある白河のシンボル「小峰城」を歩きました。その後、軽い昼食をとり文化交流館コミネスに向かいました。
 城フェスタのシンポジウム「白河戦争」では、大勢のお客様で会場は埋まり、星先生の熱弁で会場は大変盛り上がり、笑いあり驚きありの大喝采のシンポジウムでした。会場入り口では星先生の書籍が積まれ、帰りにはすべて売り切ってしまったという盛況ぶりでした。
 城フェスタが終わり、星先生とは入口で合流して宿泊先の甲子温泉へ直行。
 まずは露天風呂へ。先生は「痩せた体を見られるのが嫌だから、僕はいいよ」と言われましたが「気にする事ないですよ。先生は元気なんですから」と勇気付け、みんなと一緒に広い露天風呂で一日の汗を流しました。
 お膳の料理は数多く美味しいものばかりでした。更に倉敷の高橋さんから頂きましたお酒「喜平」が宴に花を咲かせました。
 二日目、星先生はお仕事が忙しいので新白河駅でお別れして郡山へ帰られました。その後私達四人は白河の戊辰戦争関連の史跡を巡りました。旅の最後は、先に亡くなられた東北支部長の白河のご自宅に伺いご焼香を済ませ、そして白河の新幹線駅にて解散となりました。











【県立博物館にて】
2018年11月4日(日)
 福島県立博物館で行われた記念式典、そして星先生の講演会。
 第一部の式典は1時間で終わり、第二部は星先生の講演会。さすが会津とあって、式典では空席が目立ったのですが、講演が始まる時には満席となりました。星先生は原稿抜きで堅苦しい話はやめ、笑いあり驚きありの話をしてくれました。会場からは拍手喝采。1時間の有意義な講演会も無事終わりました。
 最後は「麦とろ」にて懇親会。美味しいお酒と料理に舌鼓して解散となりました。
 星先生とは帰りのバスがご一緒でしたので、二人で会津駅前バス停で高速バスを待ちました。待っている時間、駅の土産品売り場で先生は奥様へのお土産なのか、菓子折りを二つ買いました。そしてそのひとつを私にくれたのです。「奥様に持って行きなさい」と渡してくれたのです。いやいやそれは恐縮して、私も先生を見習い別の菓子折りを買って先生にお渡ししました。お互いに、ありがとう、ありがとうと感謝の一場面でした。
 バスの中で先生はおもむろにポケットからキャラメルを取り出し、「食べなよ」と私にくれました。先生は森永のハイソフトというミルクキャラメルが好きだったようで、遠慮なくいただく事にしました。それから私も森永ハイソフトのファンになったのです。
バスの中では、研究会の事やパソコンの事などを話してくれました。そしてバスは郡山駅前に到着。先生は私と握手をしてバスを降りられました。そして私はそのままいわきへと向かいました。











【東大安田講堂にて】
2018年12月2日(日)
 シンポジウム「彰義隊の上野戦争」が東大安田講堂にて行われ、当研究会会員が観覧に参加されました。壇上のパネラーの席には著名な先生方がずらりと並び、その中で星先生は中央に座られていました。薩摩から桐野作人氏、長州からは山本栄一郎氏がパネラーとして参加したので、薩長と幕府側とのバトルが見られるのかと思いきや、なかなかどうして穏やかなシンポジウムで終わりました。
 星先生とは安田講堂の前でお会いしましたが、シンポジウムが終わってからは会う事はなく、先生はシンポジウム関係者の皆さんと食事に行かれたようで、我々会員は東京八重洲口のいつもの居酒屋へ足を向け、ほろ酔い状態で解散となりました。












【東京汐留高層ビルにて新年会】
2019年1月27日(日)
 東京汐留の高層ビルカレッタの最上階にて新年会が行われました。集合場所はJR新橋駅前広場にあるSL機関車の前。新橋駅から歩いて10分くらいのところにカレッタはありました。
 エレベーターで最上階まで上がり、外の眺めは格別でした。ビルの下には浜離宮と築地市場、その先には豊洲市場やお台場が一望でした。
 この新年会では、会長辞任の鈴木晋さんへの感謝状贈呈式が行われ、星先生から鈴木会長へ感謝状と記念の品が渡されました。また新たに関東支部長になられた竹田さん恒例の尺八のお披露目もありました。新しく会員になられた方数名も加わり、盛大な新年会となりました。楽しいひと時を過ごしお開きとなりました。星先生は新幹線で帰路につきました。













【会津柳津講演】
2019年8月27日(火)
 会津柳津「花ホテル滝のや」にて星先生の講演「明治天皇と松平容保」が開催されました。この「滝のや」で開催された講演会は今回でなんと578回目と言う驚きの回数。この578回目の講演に、皆さんが待ちに待った星先生の講演会が開催されたのです。
 会津での星先生の人気は絶大であり、著書へのサイン攻めで大忙しの先生でした。最後の討論会では沢山の方が質問をされ、予定時間をはるかにオーバーして終了となりました。
会場にはライブカメラが設置されていて、Youtubeへと流れていました。
 講演会終了後は懇親会が開催されましたが、残念ながら仕事の関係上、私と酒井さんは後ろ髪引かれる思いで、滝のやを後にしました。元気な星先生に会えて安心しました。二瓶さんや西さんにも会え、遠路、倉敷からの高橋さん、猪苗代の鈴木さんにも会え、楽しい一日でした。









【会津ワシントンホテルでのシンポジウム】
2019年11月19日(火)
 残念ながら私は仕事の関係上参加できませんでしたが、会場にはテレビ局のカメラが入り、後日テレビ放送がありましたので、それを録画して観覧させていただきました。
 「会津の義」と題したこのシンポジウムの司会進行は星先生でした。パネラーには第14代会津藩主の松平保久氏、元NHK解説委員の柳沢氏、室井会津若松市長、宮内庁主任研究官の白石氏、超豪華メンバーでした。司会進行もスムーズで、さすが場慣れした星先生の姿に見とれたのであります。
 ワシントンホテルのシンポジウム会場入り口では、星亮一先生の最近の著書が販売されていて、その中でも東京のパルス出版の「会津藩燃ゆ」は売れ行きが大変良かったと聞きます。





 以上、星先生との思い出の集会でした。歴史をまったく知らなかった私に、先生は歴史の奥深さを教えてくれました。
 また、研究会のマガジンを作ってくれないかと、こんな無知の私に期待をかけて下さり、この上ない喜びでした。ありがとうございました。
 これからという時、先生のご逝去にはただただ気を落とすばかりです。これからは会の皆さんと力を合わせ、先生の分まで頑張って行こうと思っております。
 どうか天国から末永く見守っていただきたく思います。
 星先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

戊辰戦争研究会 関根(山本覚馬)

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