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2021年12月号 vol.50

【幕末維新折々の記・二十四】旧司法省庁舎

2021年11月17日 21:48 by tange
2021年11月17日 21:48 by tange


 明治28年(1895)、皇居桜田門の前にネオバロック様式の司法省庁舎が完成する。設計者はドイツの建築家、エンデとベックマンである。その庁舎は、鉄材で適切に補強された煉瓦造で、関東大震災にも無事だった。しかし、昭和20年(1945)の米軍の空襲によって、煉瓦壁体だけを残し全てが焼失した。戦後に仮修復され、法務省本館として使われてきた。
 旧司法省庁舎は、平成6年(1994)に大規模な復原改修工事が完了し、再び明治の華麗な姿をお濠端に現わした。同年末、その外観が国の重要文化財に指定された。現在、法務省赤レンガ棟と呼ばれ、館内で唯一復原された二階・旧大臣官舎大食堂が法務史料展示室として一般に開放されている。

 この司法省庁舎の誕生は、外務卿(大臣)・井上馨が試みた条約改正と深く関わっている。
 明治政府は当時、幕末に諸外国との間で結ばれた不平等条約の改正を喫緊の課題と考えていた。そのため井上は、我が国の近代化を目に見える形にするべく、首都の整備に乗り出す。井上は首都整備の目的でドイツからエンデとベックマンを招聘することを決め、19年(1886)にまずベックマンが、翌年エンデがそれぞれ来日した。彼らは首都整備計画と、それを縮小した官庁集中計画及び複数の庁舎建築計画を残す。
 その建築計画で実現するのは、司法省と大審院(戦後、最高裁判所)の二つの建築物であった。司法省庁舎が現在の法務省赤レンガ棟であることは、先に述べたとおりである。大審院はすでに解体され、その跡に裁判所合同庁舎(東京高等、地方、簡易、知的財産裁判所)が建てられた。

 井上馨の依頼で作成された首都整備計画は壮大なものだった。海軍省、中央駅、円形広場、博覧会場、官庁街、国会議事堂などとそれらを結ぶ幹線道路から成る計画で、旧築地市場付近から赤坂日枝神社周辺までに展開する正にバロック都市そのものであった。さらにそれは、首都東京の都心部における最初にして最後の大規模な都市計画となった。
 そもそも現在の都心部は、400年余り前に徳川家康がこの地に幕府を開き、江戸城を中心として町造りをした時と基本的に何も変わっていない。家康がまず考えたのは、未だ戦国の尾を引く時代にあって攻めてきた敵から居城を守るため、城下の道をあえて複雑で分かり難くすることだった。歴代の将軍も、家康の考えにならい、江戸の街を拡張していった。それが明治に引き継がれ、今日に至っているのだ。
 関東大震災と太平洋戦争の二度、都心部全体が更地になるという機会がありながら、そこにおける体系的な都市計画は行われてこなかった。それどころか、震災と空爆で発生した膨大な瓦礫処理の目的で残されていた水路を埋め立ててしまい、舟運盛んな水の都、江戸の面影は完全に失われた。
 
 エンデ、ベックマンの首都整備計画と官庁集中計画は、井上が20年(1887)に条約改正を成し遂げられず大臣を辞任したことにより葬り去られた。旧司法省庁舎(現法務省赤レンガ棟)は、井上の大風呂敷のたった一つの残滓と決めつけられ、今にあるのだ。
 しかし、旧司法省庁舎を明治政府の失敗の証しとしてだけ捉えるべきではない。時の流れが、その存在の意味を変えていった。
エンデとベックマン共同事務所がドイツ国内に残した作品の数は150を超え、そのほとんどがベルリンの中心部に在り首都を構成する主要な建築物となっていた。そのため、第二次世界大戦の末期、連合軍のベルリンに対する空からの徹底的な爆撃により、数棟の小規模な作品を残し全てが失われてしまった。こうして旧司法省庁舎は、彼らが設計した世界で唯一現存する大規模建築となった。
 法務省赤レンガ棟は、我が国の近代化の証しであった明治洋風建築の復原という成果であるとともに、戦争で全て失われてしまったエンデ、ベックマンの作品をこの極東の地に残し、19世紀後半に花開いたドイツ・ネオバロック様式を今に伝える貴重な文化財なのだ。
 平成の初頭に行われた旧司法省庁舎復原保存の作業は、文明史的にも、建築史的にも極めて意義深いことだった。
(鈴木 晋)



法務省赤レンガ棟(旧司法省庁舎)

 
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