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ザ・戊辰研マガジン

2021年10月号 vol.48

籠場の滝の伝説

2021年10月03日 11:52 by norippe
2021年10月03日 11:52 by norippe


 磐越東線に寄り添って流れる夏井川。その夏井川の渓谷沿いに「籠場の滝」と呼ばれる落差5mの滝ある。奇岩の間から流れ落ちる滝は、水量も豊富で大変美しい。
昔、滝に大籠を掛けて上ってくる魚を捕っていた事から籠場と言っていたそうだが、あまりの美しさに平藩主が籠をとめて景色を堪能したことからこの名前が付けられたとも言われている。


籠場の滝

この籠場の滝には次のような伝説がある。
 籠場の滝で漁をしていたのは、この地の長者であった江田の伴四郎。伴四郎は、漁をしている時に、腰に差していた剣をうっかり滝壺へ落としてしまったのである。
 剣は長者にとって自慢のものであったので、あきらめきれなく、使用人を一同に集め、「探し出した者には褒美を与える」と言うと、一人の若者が「私が探しましょう」と言って滝へ行き、底も知れない滝壺へ入って行ったのである。
 するとそこには立派な部屋があって、美しい乙女が機を織っており、傍らには長者の落とした剣が置かれていた。若者は、剣を落とした長者の嘆きを乙女に訴えると、乙女から滝壺の様子を人に話さない事を条件として剣を返してもらい、滝壺から帰って来た。
 帰って来た若者を見た村人達は「おめえ、今まで何してたんだ?」と問いかけた。
 この事がほんの一瞬の出来事だと思っていた若者は、一週間も経っていた事に驚いた。人々からも、どうしてそんなに長い期間水中にいたのだとしつこく聞かれるのに根負けし、ついに乙女との約束を破り、滝壺の様子を話してしまったのである。
 すると、その後若者は息を絶え急死してしまったのだ。それ以来、魚は滝より上に遡上しなくなったと伝えられる。
 夏井川の流れと、山間からの水量豊富な流れとが段爆となって籠場の滝壺に流れ落ちる様子に、誰しも滝の力強さを感じるだろう。その力強さは、畏怖となって伝わってもくる。岩場づたいに向こう岸にも渡れるが、中高年には運動能力と勇気が必要。岩場の先端に立って滝壺をのぞき込むと、一段と迫力を体感できるが、今にも吸い込まれそうになるので無理は禁物。
 そこから上流五十メートルほどの所にも滝がある。さほど大きくない二筋の流れが、渓谷景観の一翼を担う。木々の緑が風にそよぐ音と滝の音とが、さらに心地良い空間を創り出す。
 滝入口に、大町桂月の歌碑「散りはてて枯木ばかりと思ひしを 日入りてみゆる谷のもみぢ葉 甲子初冬 夏井川渓谷に遊びて桂月」がある。
 大町桂月は、明治・大正期に山岳旅行の良さを一般に啓蒙した紀行作家。また、現代のエッセイスト辰農和男氏は、「滝の力強 さは、いのちをはぐくむものの力強さだ」と書く。
 草野心平の詩に背戸峨廊の滝をモデルとした「鬼女」がある。「紅葉のくれない かえでの黄 落下する滝の 碧に映る黄とくれないの子まんだら こくわ太蔓をぴいーんとはねて 降りたった鬼女はうるしの髪を右手でかき上げ うすら笑ひの青白い顔 血糊の口をがぶがぶすすぎ 澄澄澄澄澄澄澄泣」。いろんな滝の表現の仕方がある。
参考文献:「浜通り伝説へめぐり紀行」

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