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mikiの幕末・明治史跡めぐり帳「新選組隊士! from唐津藩」

2021年09月28日 14:59 by minnycat

 新選組隊士に九州は佐賀の唐津藩出身者がいたことをご存知ですか? 私は、先日初めて知りました。 まさか地元九州出身者がいたとは! これは現地へ行かなければ! 前回の続きはいったんお休みで・・・ いざ唐津藩へ!! …と、 その前に唐津藩についてのお勉強を。

【唐津  「唐津城」 】 唐津藩 は、肥前国唐津を支配した藩。 居城は唐津城。 藩祖は寺沢広高。しかし、藩主家が中途半端に変わることが多く、長期間による藩主家の一大支配が無かった土地柄である。

 石高は6万石から12万石であったが、実際の石高は20万石前後だったと言われている。 そして、幕末期には二人の逸材を輩出している。 水野忠邦と小笠原長行である。 ついでにこのお2人のことも軽く… 水野忠邦 は、藩主家が水野家の代で4代目にあたる。 しかし、当の本人は幕府老中となることを夢見て、1万石幕府献上の功で自ら望んで浜松へ転封した。 唐津藩は表向き6万石~12万石とされるも、実際は20万石以上といわれるのに、 わざわざ忠邦は5万石の浜松を選んだのである。 なぜであろうか? それは、唐津は諸外国に接する要衝の地・長崎に近く、長崎警護の役目があり、幕府老中への出世コースに乗れない恐れがあったのだ。

 そこで、江戸に近い場所に所領をもって幕府重職に就こうとしたのだ。 結果、その甲斐あり老中になり有名な天保の改革を行っている。 水野忠邦が浜松に転封した後、 藩主となったのが 小笠原長行 である。 長行は老中・外国事務総裁をも兼任して幕政を担った人物である。 戊辰戦争では旧幕府軍に与して函館まで転戦するなど、最後まで幕府に忠義を尽くした人物でもある。 ・・・・・・・・・・・・・

  唐津藩のこと、ついでもって幕末期の2人の逸材も分かりました。 …唐津藩のことは分ったが、 なぜ唐津藩出身者が新選組に入隊することになったのか? そのことも調べることに致しましょう。 …結果、 時期は 明治1(1968)年、 北関東を転戦し、いよいよ蝦夷地に渡るという時です。 同年9月、福島にいた 土方さん率いる新選組と、土方さんと大鳥圭介が率いる旧幕府軍は、榎本艦隊が仙台湾に到着したとの知らせを受けると仙台に向かった。 この仙台に滞在していた際に、唐津藩士のみならず桑名藩士、備中松山藩士たちは新選組に加入したという。 これは、蝦夷地渡航にあたり、渡航を新選組を含む旧幕府諸隊は隊士の自由意志としたが、 唐津・桑名・備中松山の藩士たちは、随行人数を制限されたため、この選に洩れた藩士たちが、 戦死や離脱により人数が減った新選組に加わり蝦夷地に渡ることになったのである。 前述したように、 小笠原長行は函館まで転戦しましたものね。

【仙台「外人屋跡」 仙台城下に滞在中の土方さんが宿舎としていた屋敷跡】 ・・・・・・・・・・・・・ ようやく 唐津藩のことも、 唐津藩士が新選組にいたのかも分りました。 納得したところで、 再び・・・ いざ唐津へ!!   ・・・・・・・・・・・・・ 続きは、 「 新選組隊士!! from唐津藩② 」へ・・・

 代筆  minnycat

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