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ザ・戊辰研マガジン

2021年09月号 vol.47

江戸の坂道(菊坂)

2021年09月06日 18:00 by norippe
2021年09月06日 18:00 by norippe

 2018年12月、東大安田講堂で「彰義隊の上野戦争」と題したシンポジウムが行われ、戊辰戦争研究会の面々が集った。帰りは東大正門から赤門前を歩き、2次会の会場へ向かうため地下鉄丸の内線の本郷三丁目駅へ歩いた。その本郷三丁目駅のある本郷三丁目交差点の手前50mくらいのところに、右に入る道路がある。この通りは本郷通りから白山通りに抜ける緩やかな「菊坂」と呼ばれている坂道である。距離にして700mくらいはあるだろうか。本郷は江戸時代、武家屋敷や寺社が多くあり、明治時代に活躍した文豪ともゆかりがあり、歴史深い街なのである。

 菊坂の通りの途中には文京区教育委員会による「菊坂」の解説を記した案内板がある。それによれば「此辺一円に菊畑有之、菊花を作り候者多住居仕候に付、同所を菊坂と唱、坂上の方菊坂台町、坂下の方菊坂町と唱候由」と「御府内備考」に記されているという。この辺りには菊畑が広がり、菊の花を作る者が多く住んでいたため、坂を菊坂、坂上の方を菊坂台町、坂下の方を菊坂町と名付けたという。現在は「本郷四丁目」、「本郷五丁目」の町だが、1965年(昭和40年)までは町名として「菊坂町」が存在していたようだ。菊坂は車両の通行量は多くはない。庶民的な佇まいの個人商店が軒を並べる、のんびりとして穏やかな佇まいの通りなのだ。周辺は住宅街で古い建物も数多く残っている。


菊坂の案内板

 菊坂の途中にある長泉寺のすぐ近くには、菊富士ホテル跡の碑がある。菊富士ホテルは大正3年から昭和20年の東京大空襲で消失するまで存在していたホテルで、当時は、文学者の宿としても有名であった。宇野千代、坂口安吾、谷崎潤一郎、竹久夢二、直木三十五、尾崎士郎などそうそうたる人物たちが利用したホテルであった。


菊富士ホテル跡の碑

 菊坂を本郷通り側から200mほど下った辺りから、菊坂の南側に平行して延びる狭い道路がある。菊坂より一段低くなっていて「菊坂下道」と呼ばれている。この菊坂下道の入り口に「菊坂のやさしいごはん」という食堂がある。何がやさしいのか?身体にやさしい食べ物なのか、店員さんがやさしいのか?一度入ってみる価値がありそうだ。
 そのやさしいごはん屋さんの裏道が菊坂下道である。鐙坂(あぶみざか)とも呼ばれている。この菊坂下道を130mほど進んだ左側に、「宮沢賢治旧居跡」がある。宮沢賢治は1921年(大正10年)1月に上京して、同年8月までこの本郷菊坂町75番地(現在の本郷四丁目35-4)の稲垣さんというお宅の二階に下宿をしていたのだ。

 更に80mくらい先になるが、左奥には樋口一葉旧居跡がある。樋口一葉一家が菊坂に転居してきたのは1890年(明治23年)、生活は苦しく、近くの質屋に通う日々が続いたという。
樋口一葉旧居跡から北へ100mくらい離れた菊坂沿いに、その樋口一葉が通ったという伊勢屋質店の建物が残っている。

 私が二十歳のころ、東京に住んでいたアパートの大家さんは質屋を営んでいた。アパートは古く、風呂なし共同トイレで三畳の部屋だった。家賃を払いに行くのにこの質屋ののれんをくぐらなければならず、いつも苦痛だった。しかし、大家さんはとてもいい人で、お金が無くて家賃が払えないときがあったが、笑顔で「待つからいいよ」と言ってくれた。私は悪いと思い、使っていないコタツを担保に置いて来た。それを考えれば、大家さんが質屋さんで良かったのかも知れない。


今も残る伊勢屋質店の建物

 樋口一葉はその後、台東区で雑貨店を営むが、間もなく店をたたみ本郷丸山福山町に転居。しかし伊勢屋質店との付き合いはまだ続くのである。一葉は1896年(明治29年)11月に24歳の若さでこの世を去った。一葉が亡くなったときは伊勢屋質店の主人が香典を持って弔ったという。店は1907年(明治40年)に改築されたが、土蔵は一葉が通った当時のものが残されている。


樋口一葉

 この菊坂にあった樋口一葉の家は庭付きの一戸建てであったが、現在は当時の姿はなく、古い建物の路地の奥に、かろうじて一葉も使ったという井戸が残されている。現在は手動ポンプになっているが、一葉が暮らした頃は「つるべ井戸」だった。


一葉が使った井戸(昔はつるべ井戸だった)

 樋口一葉旧居跡から20mほど離れた南側に金田一京助宅跡がある。家の前は鐙坂(あぶみざか)という名前の狭い道路になっている。

 この菊坂界隈は住宅地であるが、古い建物が残った形で混在する魅力ある街なのである。

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