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十津川郷士⑦(御親兵多難-政変勃発)、その4

2021年08月31日 17:31 by tama1

 七卿が長州兵に守られて鷹司邸を脱出したのは、八月十八日の夕五時頃だったという。 七卿はその夜、そろって東山七条の「妙法院」に一泊、翌朝伏見を経て長州へと発つ。

 京都泉涌寺蔵の「七卿落図」(竹本石亭画)を見るに、雨中、泥濘のなかを蓑をかぶり、 徒歩でとぼとぼと歩む一行の姿は、いかにも哀れである。この絵は三条西季知の追憶に 基づき描かれたというから真実に近いのだろうと「十津川草莽記」は言っています。

 さて、哀れといえば、十津川郷士もまた哀れだった。何しろ彼らが初めて御所の勤務に ついたその夜に政変が突発したのだから、不運というしかない。 主税が異変を知ったのは、朝六ツ半(午前七時)ごろという。早番で出仕した千葉定之介 からの注進だった。千葉は勤番の者五十人余を率いて御所に出向いたところ、堺町門も 寺町門も扉を固く閉ざして出入りが出来ず、禁闕に何事か起こったようであるが、それが 何かわからないという。

 主税は急いで御所に駆け付けたが、千葉のいうとおり、禁門はいずれも扉を閉ざし、完全 武装の兵が厳重に固めており、昨日、禁闕警衛の御命を受けた十津川郷士だと身分を 明かし、入門を申し入れたが、何人も入れるなの一点張りで取り付く島もない。 仕方なく主税らは長州藩兵を探すことにしました。 九ツ(正午)を過ぎてようやく所在がわかります。

 藩兵は目下、鷹司関白邸を固めていて 、そこには参政の七卿も集まっているらしい、とのこと。主税たちは、さっそく鷹司邸 に走り長州藩兵に加わります。 長州藩兵も主税たちも、何もわからないままに、時が過ぎ、イライラしていました。何と か参政卿に会い、事情を知りたかったが、その参政卿が現れたのは夕方になってから だったという。 平伏する主税らには一瞥もせず、厳しい顔でそのまま馬に乗ったといいます。

「十津川記事」の記述には、 黄昏ニ至リ諸卿、門ヲ出テ馬頭ヲ南ニ向ケ、長州ノ兵員之ヲ擁護シテ馳行セラルルガ故、 我隊モ急ニ之ニ不随シ、稲荷街道ヨリ大仏殿ニ入ラレタリ。我隊又其南門ヲ警固ス、此夜 大ニ雨降リ、街上ノ我隊皆ナ濡ル。とあり、なにも教えられず、おろおろとついてゆく郷 士の姿が、目に見えるようだと書かれています。

 翌朝、ずぶ濡れになって警備についた十津川郷士に、参政卿は、もういいから屯所に帰れ と言ったという。主税らは政変の中味や、政変によって自分たちの立場がどうなってしま うのか、全く知らないままに屯所へ戻るしかなかったようです。

 郷士らが京に出て来てからわずか三日目の出来事であり、主税らが事件の真相を知って 肝を潰したのはそれから間もなくのことであったと、十津川記事は書き記しています。 参政の諸卿と長州藩が突然、勅勘を蒙って去ったことは、主税ら郷士には致命傷といって もいいほどの痛手だったのは言うまでもないことでした。 十津川郷士に、まだまだ苦難が続きます。

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