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ザ・戊辰研マガジン

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【幕末維新折々の記・二十一】開拓使ビール

2021年09月06日 18:07 by tange

 明治維新以降の我が国民は、それまで全く知らなかった様々の飲料を口にしはじめる。その代表的な例が麦酒(ビール)である。
 日本人の手によって初めて生まれたビールは、明治9年(1876)、北海道の札幌に設立された開拓使麦酒醸造所で生産、販売された「開拓使ビール」である。後にこの官営醸造所は、大倉喜八郎の経営する大倉組に払い下げられ、まもなく渋沢栄一など明治財界人の共同出資による札幌麦酒会社が誕生する。これが現在のサッポロビール株式会社の起源となる。
 開拓使麦酒醸造所は、当初東京近郊に設立されるはずだったが、開拓使勧業課長・村橋久成が強く主張して、札幌に開設された。
 村橋久成は、旧薩摩藩士で戊辰戦争の時には新政府軍陸軍参謀・黒田清隆に従い、東北地方を転戦し、明治2年(1869)5月、旧幕府軍が守る箱館へ進攻した。

 私の曾祖母・鈴木光子の母方の祖父で会津藩士だった小野権之丞は、箱館戦争の時、五稜郭総督・榎本武揚の命により旧幕府軍野戦病院(箱館病院)の事務長に就いていた。
 小野は、文久3年(1863)1月から明治2年12月までの7年に亘って、毎日のことがらを詳細に記した日記を残している。
 小野権之丞日記、2年5月12日の項に次の記述がある。黒田参謀の命を受け、その部下たちが箱館病院へ和平交渉のため来た時のことである。
 『夜半頃、薩州隊長池田次郎兵衛、村橋直衛ほか四、五名が、諏訪の所へ来た。五稜郭と弁天台場に恭順を勧めてほしいと、種々話し合い帰っていった』
 この「村橋直衛」と開拓使ビールの「村橋久成」は同一人物なのであろうか……。
 共通する事実は色々ある。「薩摩藩士」、「黒田清隆直属の士官」、「2年5月、箱館へ進攻していた」などである。
 しかし、名前が違っていることが決定的で、真実はつかめないでいた。どちらかが諱(いみな)であるかもしれないと考えていたが、それ以上の史料が見つからず、長い間不明のままだった。

 「サッポロビール120年史」に、村橋久成についての短い記述を見つけた。
 『村橋久成は、天保11年(1840)、薩摩藩加治木島津家の分家に生まれ、将来は家老職を約束された名門の出。慶応元年(1865)、薩摩藩が森有礼ら15人を留学生としてイギリスへ派遣したとき、その一人として選抜されロンドン大学に入学した。翌年に帰国し、幕末維新の混乱期には官軍に参加した』
 なお、同社史における村橋に関わる記述では、その名を全て久成としている。
 私は、上記小伝の中、「慶応元年、イギリスへ派遣」という記述に注目した。文久3年(1863)7月の薩英戦争に完敗した薩摩藩が、海外事情を探るため藩士を英国へ密航させた時のことである。後に我が国の文部行政の礎を築く森有礼の伝記を調べた。そこに、海外派遣藩士の名簿を見つけた。記載の一人に「御小姓組番頭、村橋直衛23歳」とあった。(犬塚孝明著『若き森有礼―東と西の狭間で―』)
 間違いない! 村橋直衛と村橋久成は同一人物であった。

 明治14年(1881)、開拓使官有物払下げ事件が起きる。それが政変となり、黒田長官は退陣する。村橋は、目前で展開する官財癒着に到底我慢ができず、自分に約束されていた栄達の道を断ち、行脚放浪の旅に出る。それから10年ほど経った25年(1892)10月の神戸の新聞に、「鹿児島・村橋久成という名の雲水が、路上に行き斃れ仮埋葬された」という死亡広告が掲載された。
 150年ほど前、箱館戦争の時、私の先祖が出会った村橋直衛(久成)は、私利や私欲を捨てた高潔な人物だった。私は、彼に思いを馳せ、きょうもサッポロビールを飲む。
(鈴木 晋)



開拓使麦酒醸造所(ヱビスビール記念館パンフレットより)


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