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村上殿の日々つれづれ、、「非常に複雑な歴史ロマン」

2021年05月24日 20:15 by murakamidono

「 非常に複雑な歴史ロマン」

 次の1万円札の肖像に渋沢栄一がなる。 渋沢栄一と私の生家菅原家は親戚であることは、誰も知らない。これを説明する。

 明治元年頃、渋沢一族に「貞次郎」という人がいた。当時10歳くらい。その後、彼は「高山社」(世界遺産)で養蚕の教授となった。

 私の祖母は菅原惣右衛門の生まれ。祖母の生家と菅原家の距離は約150メートルで、その中間に「観音様」がある。管理は私の本家の本家である「菅原惣左衛門」である。

 私の母の生家は斎藤平四郎である。明治20年ごろ、わけあって、上記貞次郎は斎藤平四郎の家族となった。上州と越後の農村。この貞次郎の、お孫さんが村上市に「旭電工」という会社を設立した。インターネットで見られる。

 祖母の「いとこ」の女性と結婚したのが、岩沢の庄屋・飯沼家の当主である。貞次郎は上記の「観音様」の世話をし、養蚕用具を作っていた。また、私の母と母の母(祖母)に養蚕を教えた。僕が今養蚕をしているのは、その流れにある。

 上記「いとこ」と庄屋の間に生まれたのが「飯沼肇(はじめ)」で、肇の息子が「本庄繁長公顕彰館」を開いている。インターネットで見れる。上記の「いとこ」と飯沼家の主人は、本家飯沼家から出て「隠居屋」となり別居。インターネットで見れる。

 菅原惣左衛門の屋敷の南側に「家」があり、貞次郎夫婦はここに住んだ。僕が子供のころ、そこに井戸があった。実は、この「家」は斎藤平四郎の娘さんのために、菅原惣左衛門の主人が、建ててやったのである。この娘は「とても性格がよく」人から好かれたのである。

  若いとき、貞次郎は、設楽貞次郎になっていた。設楽貞次郎は明治43年に他界した。村人50人が石碑を、薦川(こもがわ)の山から運んだ。ところが、「設楽」(したら)を「説薬(せつやく)」と彫った。 この石碑は、今でも、岩沢の寺・医泉寺の参道にある。

 これも歴史ロマンである。

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