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ザ・戊辰研マガジン

2020年11月号 vol.37

信念を貫き通した会津藩士 秋月悌次郎

2020年11月01日 11:36 by tetsuo-kanome

【「信念を貫き通した会津藩士 秋月悌二郎」書籍】

 10/24に私は久しぶりに鶴ヶ城売店を訪れ、初めに目に入った書籍が『信念を貫き通した会津藩士 秋月悌次郎』です。会津若松市の「秋月悌次郎顕彰会」が発刊しておりました。私が会津藩の中で一番尊敬しているのが秋月悌次郎であり、戊辰戦争研究会においての私のペンネームは秋月悌次郎です。この書籍を見つけた瞬間に買うことを決めました。内容は秋月に関する賞賛の嵐で素晴らしい内容でした。日新館でも販売されているそうです。

 秋月は、戊辰戦争敗戦後、鶴ヶ城を開城し、会津藩士たちは猪苗代で謹慎処分を受けました。秋月もその中にいました。彼はあるとき、そっと謹慎所を抜け出すと、当時会津坂下にいた越後口の西軍参謀・奥平謙輔のもとを訪れました。奥平は前原一誠の親友で、彼と前原は会津藩士に心を寄せ、寛大な処置を願っていました。奥平は以前から秋月とは旧知の仲で、深い交流がありました。彼は猪苗代に秋月がいることを知って、会津藩士の健闘ぶりを讃える手紙を送っていました。手紙を受け取り、秋月は希望の光を見いだしました。これからの会津は、若者に未来を託すことで、道が開けるかもしれません。秋月は、容保・喜徳父子への寛大な処置を願うとともに、優秀な少年として、山川健次郎と小川亮を選抜し、奥平に預けることに決めました。奥平と出会った帰り道、悌次郎は「北越潜行の詩」を詠みました。秋月は漢文に優れ、生涯漢詩を詠み続けた彼の作品でも、最も有名なものです。会津藩士の苦悩を詠んだ詩として、高い評価を得ています。

【秋月悌次郎「北越潜行の詩」】

有故潜行北越帰途所得 行無輿兮帰無家

国破孤城乱雀鴉 治不奏功戦無略

微臣有罪複何嗟 聞説天皇元聖明

我公貫日発至誠 恩賜赦書応非遠

幾度額手望京城 思之思之夕達晨

愁満胸臆涙沾巾 風淅瀝兮雲惨澹

何地置君又置親

 

故ありて北越に潜行し帰途得る所 行くに輿(こし)無く帰るに家無し

国破れて孤城雀鴉(じゃくあ)乱る 治は功を奏せず戦略無し

微臣罪有り複貫日(かんじつ。一貫して)

至誠に発す 恩賜の赦書応(まさ)に遠きに非(あら)ざるべし

幾度か手を額(ぬか)にして京城を望む 之を思い之を思うて夕晨(ゆうべあした)に達す

愁(憂い)胸臆に満ち涙巾(きん。手ぬぐい)を沾す(うるおす。濡らす)

風は淅瀝(せきれき)として雲惨澹(さんたん)たり 何(いず)れの地に君を置き又親を置かん

 

【鶴ヶ城三の丸の秋月悌次郎の詩碑】

 私はこの書籍を読み、ますます秋月悌次郎に陶酔しました。まさに尊敬に値する会津人です。

【記者 鹿目 哲生】

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