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十津川郷士、その2(田中光顕と田中主馬蔵)

2020年09月26日 16:25 by tama1

十津川郷士、その2(田中光顕と田中主馬蔵)

さて、ここからは、いよいよ「十津川郷士」について触れてみることにしましょう。

  今回は、田中顕助(光顕)や那須盛馬(片岡源馬)を匿った田中主馬蔵について書いて おこうと思います。

田中主馬蔵 「十津川人物史」には、以下のごとく紹介されています。

  天保三年(1832)五月一日、千葉周平の次男として上湯川に生まれ、後、田中家を継ぎ 田中姓を名乗る。十歳にして兄千葉正中とともに紀州田辺藩平松良蔵の門に入り、漢学 を修め、同藩士心形刀流柏木兵衛に剣術を学ぶ。安政五年(1858)郷士の同志とともに 上京し、薩長土諸藩の志士と交わります。

  文久三年(1863)四月丸田藤左衛門等と有志総代となり、十津川郷「由緒復古」の義を 上願しています。六月十一日御所学習所において「朝廷に忠勤を励むべし」とご沙汰書 を賜り、八月郷中百七十余名上京、円福寺に入り御所警衛の任に就くことになります。

「京詰」と称するこの挙は正に十津川が幕府の勢力下を離れ、朝廷側についた、全国に 先んじた行動であり、しかも明治維新六年前のことでありました。 「明治維新魁の村」と言われる所以です。この端緒を作った主馬蔵等、郷士達の働きは 誠に大といわねばなるまい。これと同時期、「天誅組の変」があり、主馬蔵は郷土を鼓舞 し、一方の隊長となり、各地に奮戦したが、戦い利あらず遂に捕らえられ和歌山の獄に 投ぜられた。主馬蔵獄中にて病み、薬液にて雑詠数十首をしたため、密かに食器に入れ て家郷に送っています。

  獄中述懐 ”数ならぬ身にしあれども君がため尽くす誠はたゆまぬものを”

 同年十月、許されて帰郷。慶応元年(1865)春、土佐の田中光顕伯十津川に亡命、自宅に 匿いその世話をします。その年、長州へ落ちた七卿の召喚運動に関わった等の嫌疑を受け 、京都東町奉行所に捕らえられる。翌二年(1866)、疑い晴れて帰郷するも獄中での病い 重なり、二月九日、本宮にて没す。三十四歳の若さであったと。 特使をもって正五位を贈られる。

  辞世 ”ことかたの黄泉ひろ坂こゆるとも なほ君が代をまもらしものを”

  主馬蔵は和歌を能くし、文筆に優れ嘉永以降死に至るまで日誌を書き続けたといいます。 十津川高校の前身「文武館」が百五十余年前、孝明天皇の勅命によって創立されたとい う唯一の史的物証は、実に主馬蔵滞京中の日誌の一頁「御所御内玄関中ノ間ニ而文武館 取立可申旨御沙汰之事」にあるという。

「十津川草莽記」から今少し補足してみるに、この頃、「京詰」の郷士の中で反幕的な 色合い、といえば、もっとも早く倒幕の思想を抱き、行動に踏み切ったのは、田中主馬蔵 、深瀬仲麿、吉田源五郎の三人であった。

  特に田中主馬蔵は、親分肌で世話好きだったらしく、天誅組の変の時も、中山忠光に 愛想をつかして離脱した河内の水郡善之祐(にごりぜんのすけ)が、同志十一人を連れ て頼ってきている。主馬蔵が当時流行の、観念としての尊王攘夷から脱皮し、武力倒幕 という具体的な行動に傾くのはこの天誅組の変からであったという。

  彼は吉村寅太郎の檄に応じて天誅組に加わり、南山を転戦したが、その間に吉村の武力 倒幕に感化され、弱腰の幕府では、到底攘夷は出来ぬ。長州と組んでまず幕府を倒すこと だ、と思うようになったといいます。吉村の檄が偽勅とわかったあとも、主馬蔵は志を変 えず、天誅組が郷を去るまで行動を共にしています。そのために変後、紀州藩に捕らわれ 一ケ月近く牢で呻吟させられることになります。幸い、この時は中川宮の内命で、郷の 天誅組加担の罪は不問に付され、主馬蔵も釈放されて郷里へ帰るも、志は変わらず、その 後も郷の恩人中川宮の思し召しに反すると知りつつ、長州援護-倒幕への道をひたすら 突っ走っていきます。

  この後、京へ出て屯所を根城に長州系の志士と交わり、三条実美ら七卿と長州藩の復権 運動に走り回ります。十津川屯所取締役という立場を活かして同志の連絡役を引き受け 、いろんな策謀に首を突っ込んでいきます。・・・略

  あとは、先の「十津川人物史」に書かれている道を辿りますが、なるほど、田中主馬蔵も 一介の田舎郷士にあらず、幕末史の水面下で歴史を動かしていた一人だったのだと、 大変勉強させられました。

  次回からは、冒頭に述べたごとく、十津川郷士が「御所禁裏護衛士」拝領に奔走した リ-ダ-たちの苦難の活動について書いて行きたいと思います。

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