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「おな石」の伝説

2020年09月06日 22:12 by norippe



 昔、松川与作という青年が舟に乗り漁に出た。しばらくすると、空は真っ黒な雲に覆われ、雨が降り出し強い風も吹いてきて嵐になってしまった。帰って来ない息子を心配し、与作の母は浜辺へ行き「与作、与作…」と名前を呼び続けた。夫も海で遭難し、命を落としている。与作は浜に戻ろうと、必死で舟を漕いだのだが、強風と大波に阻まれて思うように進むことが出来なかった。どんどん沖へ流されて行ってしまった。夜になっても息子は帰って来ない。母は嵐の中で「与作、与作…」と呼び続けたのだ。

 夜が明けて、嵐は過ぎ去ったが息子の姿はどこにも見えない。海岸で息子を探し続ける母の姿があった。母は高い場所なら息子を見つけることが出来るかも知れないと船漕山に登った。それから毎日、母は山に登り海に向かって息子の名前を呼び続けたのである。
「沖行く舟は与作でねぇべか?与作だったらいいな!」
 しかし、待てども息子は帰って来ない。何年も何年も母は待つのだが、与作は帰って来なかった。

 やがて村ではその母の姿を見る者がいなくなり、村人の一人が船漕山に登ると、その頂上には、まるで人が遠く海を見つめてたたずんでいるような石があったのだ。人々は息子の帰りを待ち続けていた母が、石になったのではと思った。 試しに石を切ってみると血が出たという話もある。村の人々はこの石を「おな石」とと呼ぶようになり、この話が語り継がれている。

 この「おな石」は、高さ2メートルほどの石で、いわき市平下高久の小高い山の上にあり、太平洋を見渡す事が出来る。



 「おな石」は、私たちが震災で経験した津波の怖さも伝えている。東日本大震災の津波でのまれ、いまだ戻らない人々がたくさんいる。そんな人々をいつまでも待つ家族の姿にも重なって見えてしまう。

 また、北朝鮮に拉致された横田めぐみさん、その帰りを待つ両親の横田夫妻がいるが、残念ながら父親である横田滋さんは亡くなってしまった。その父親も石となって遥か遠く海の向こうを眺めているに違いない。

 「岸壁の母」という歌がある。菊池章子や二葉百合子が歌った歌である。太平洋戦争が終わり、ソ連に抑留されていた人々が船に乗って帰ってくるのであるが、戦地から帰ってくる我が子を桟橋で待つ母の姿である。これは映画にもなった。待てど暮らせど息子は帰って来ない。 そんな中、その母のもとに戦死告知書が届いた。息子が中国で戦死した事を告げる国からの手紙であった。しかし、帰還を待っていた息子は実は、戦後も生きていたという。それが明らかになったのは、母の没後19年経ってからの事であった。

 北朝鮮の拉致問題、解決されないまま安倍総理は辞任してしまったが、その後を引き継ぐ総理大臣はどのような手腕を発揮してくれるのか。
 横田めぐみさんをはじめとする拉致被害者が、無事帰還することを願わざるにはいられない。


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