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ザ・戊辰研マガジン

2020年09月号 vol.35

【幕末維新折々の記・九】神戸事件

2020年09月06日 22:09 by tange
2020年09月06日 22:09 by tange

 2015年2月1日早朝、衝撃的なニュースが伝えられた。イスラム国(IS)に捕らえられ人質となっていた日本人ジャーナリスト、後藤健二氏が殺害されたのだ。
 イスラム国とは、全く不条理な存在だ。イラクとシリア両国にまたがる広域を武力によって占拠し政権を樹立、そこを勝手に「国家」と宣言した(2014年6月29日)。しかし、国際的には誰もそれを認めず、「国家」としての承認を与えていない。
 その後、2017年10月17日、イスラム国が首都としていたシリア北部の都市ラッカがシリア民主軍によって陥落し、同国は崩壊したとされた。しかしその脅威は、今日も世界の各地で潜み続けている。

 歴史作家、司馬遼太郎氏は、幕末維新の時代について、大変分かりやすい文章で多くの優れた小説を著述し、それらがベストセラーズになった。その結果、この時代における薩長史観を多くの国民に広め、あるいは刷り込んでいった。
 しかし、そういう司馬氏でさえ著作「加茂の水」において、慶応3年(1867)の秋以降に発せられた討幕の密勅を起草し錦旗を考案したのは、岩倉具視のそばにいた私人で以前は湖西に隠棲していた老学者、玉松操(たままつ みさお)であったことを明確に述べている。さらに錦旗は、岩倉の命を受けて、薩摩の大久保一蔵(利通)が妾おゆうの買ってきた西陣織の帯地で作成したとも付け加えた。

 慶応4年(明治元、戊辰、1868)の1月3日から6日まで、鳥羽・伏見で薩摩、長州、土佐軍と旧幕府連合軍との間に戦争があった。その後一年半に亘って続く戊辰戦争の始まりである。
 この時、薩長軍へ朝廷より「錦の御旗」が下される。それをもって政権は、徳川から薩摩と長州の二藩に移譲されたとした。しかし、その「錦の御旗」と前年に下された「討幕の密勅」は、いずれも岩倉具視が勝手に作らせた偽物である。きわめて怪しい政権移譲だった。
 司馬氏は、慶応3年末の王政復古の宣言から翌正月まで、京都と大坂の二か所に政権ができていたとも記している。京都は薩長政権で、大坂とは、戊辰1月6日まで大坂城にいた徳川慶喜を首班とする政権ということであろう。
 徳川幕府は諸外国から認知されていたが、国際的に認められていなかった薩長政府は、今日のイスラム国が主張した政権と全く同じだった。

 その薩長政権にとって驚愕の事件が起きるのは、1月11日、神戸・三宮神社の前であった。いわゆる神戸事件である。薩長藩に恭順することを決め、その命に従い外国人居留地を移動中だった備前藩の行列に、仏人水兵が割り込んだ。それを制した備前藩士が、その仏人に切りつけ軽傷を負わせ、対抗して神戸中心部を軍事占拠した欧米列国艦船の陸戦隊に向けて発砲したのである。
 もしこの事件がもっと深刻化していれば、脆弱な基盤の上に成立していた薩長政権は瓦解し、朝廷は再び徳川に国の運営を任せる事態になっていたかもしれない。
 事の重大さを察した長州の伊藤俊輔(博文)が奔走し、1月15日、英・仏・米・蘭などの連合国と事件解決の折衝が始まる。戊辰戦争が勃発した1月3日からこの15日まで、日本国の政権がどこに属していたかは曖昧だった。
 交渉の任に就いた伊藤は、薩長二藩を中心とする新政府が正しく朝廷から政権委任されていることを、諸外国に示す必要があると考えた。短期間であったが英国に留学していた伊藤は、「国家」とは何かを直感的に理解していた。そこで彼は、文久3年(1863)の政変で長州へ落ちた七卿の一人、東久世通禧を天皇のお使いとして折衝の首席にすえる。その場で、政権は徳川から新政府へ移譲されたことを宣言し、各国もこれを認めるのである。この時、初めて新政権が認知され発足したのだ。
 神戸事件は、広く知られていないが、明治政府が誕生するための重要な出来事だった。

 さらに述べれば、戊辰正月3日から6日までの鳥羽・伏見の戦いで、イスラム国(IS)と同じように誰にも認知されていない薩長政権に手向かったとして、会津藩は朝敵とされた。
 イスラム国は不条理とされているのだから、会津藩を朝敵だとするのも条理とは言えまい。会津藩は、その後、薩長政権によって東北の地で散々な目に遭うが、それは全く理不尽なことだった。

 事件発端の地となった三宮神社は、神戸三宮の中心街、繁華の中に今も静かに座る小さな神社である。 
(鈴木 晋)    



神戸・三宮神社

 
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