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【幕末維新折々の記・六】鳥羽・伏見の戦い

2020年06月09日 00:27 by tange

 慶応4年(明治元、1868)正月に薩摩、長州、土佐軍などと旧幕府連合軍との間で戊辰戦争が勃発する。
 その戦いは、1月3日、京都の南、鳥羽の地で薩摩軍の放った一発の砲弾で始まった。鴨川沿いの鳥羽街道(現、千本通)を大坂から京都に向けて進軍し、小枝橋あたりで一たん阻止されていた旧幕府軍が強行突破しようとしていた矢先の砲撃であった。その砲声が、ここから南東に位置する伏見でも戦端を開く合図となった。
 この1月6日までの鳥羽・伏見の戦いが、翌年5月の箱館戦争終結まで続く戊辰戦争の幕開けとなった。
 
 薩摩軍が最初に砲撃した場所は、現在の鳥羽離宮跡公園の一隅だった。小枝橋は、その名とは裏腹に大きな橋として架け替えられ、鴨川を跨いでいる。
 公園のやや小高いところに立てられた戊辰戦争幕開けの顕彰碑を見つけた。現在の鴨川沿いの道は、護岸の目的でかなり嵩上げされている。そのことを併せて考えれば、当時の鳥羽街道は、大砲が据えられた位置からかなり下の方を通っていたのだ。狭い街道を二列縦隊で進む旧幕府軍に向かって砲撃するには、これほど良い地はないと思われる。兵数で劣勢だった薩摩軍は、戦いに勝利するため、実に適切な位置に大砲を据え布陣していた。

 伏見の街を歩いていると、その中心軸となっているのは大手筋通りであるのが直ぐに分かる。大手筋とは、かつての伏見桃山城の大手門に至る道ということで、西から東へ向かってかなりの勾配で上っている。真っすぐ東の方へ長い道のりを往くと、旧伏見桃山城の一画に造営された広大な明治天皇陵(伏見桃山陵)に達する。今、御陵墓の直ぐ前まで進むことが許されている。
 大手筋通りの商店街を抜け、京阪と近鉄の線路を越えた北側に、御香宮神社が見えてくる。戊辰正月、その境内と周辺に薩摩、長州、土佐軍が陣を敷いた。他方、戦争勃発の日、やはり大坂から京都を目指した旧幕府軍、会津軍、新選組などの連合軍は、神社の南側で大手筋通りを越えて反対側の旧幕府奉行所(伏見奉行所)に布陣していた。
 奉行所の跡を訪ねると、そこは御香宮神社の位置からだいぶ下方だったことが分かる。現在、大規模な市営住宅となっている。ここ伏見においても、薩長土軍が旧幕府連合軍を眼下に捉えるような陣形となっていた。刀槍から銃砲が主力となった戦いでは、相手の上方に布陣できれば一方的に有利なのだ。旧幕府連合軍は惨敗を喫し、撤退した。

 この戦いで土佐藩は初めて討幕に向けて参戦したのだが、そこには一つの逸話があった。
 土佐の先藩主・山内容堂は、開戦の直前、『これは薩長の私闘である。土州は一兵もこの私闘に加わってはならぬ』と厳命した。彼はこの戦いの本質をよく見抜いていたのだ。しかし彼の股肱の臣、乾(板垣)退助は、その命令を無視して御香宮神社に布陣した。容堂の統治力は、すでに効かなくなっていた。
 しかし容堂は、退助の決断のおかげで、維新後に大きな栄典を朝廷から受けることになる。その時、鯨海酔候と自ら称したほど酒豪の彼は、ほろ苦い酒をたらふく飲んでいたのかもしれない……。

 1月6日の夜、最後の将軍・徳川慶喜は、松平容保(会津藩主)、松平定敬(桑名藩主)の兄弟を伴い大坂城を脱出し、旧幕府の軍艦・開陽丸で大坂から江戸へ逃げ帰ってしまう。そして、あるじを失った数万の将兵が、大坂から京都の近傍に取り残された。
 2月9日、政府総裁・有栖川宮熾仁親王が東征大総督に、板垣退助が東山道先鋒総督府参謀に任命される。
 この時退助は、姓を乾から先祖の板垣に改名する。「板垣」は、かつて武田家重臣として甲信の民衆から人望を集めていたので、東山道へ攻め入るために有利と考えられたからである。これは岩倉具視の提言に従ったもので、岩倉の周到で巧妙な性格がよく分かるのだ。
 そして、新政府軍の東海、甲信、関東、北陸、東北、蝦夷地への侵攻が始まった。
(鈴木 晋)



御香宮神社・表門(伏見桃山城大手門を移築)


次号、「勝海舟と小野権之丞」

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