米国気質 I
私は、米国で長らく生活した。高齢のお婆さん宅にも住んだ。お婆さんから言われたことは、「日本の昔文化を大切にしなさい」だった。このお婆さんの娘さんの結婚相手を私が見つけた。不思議なことである。お婆さんは、若かりし頃、ヒットラーの演説を聞いたそうだ。ヒットラーの人物像もよく聞いた。お婆さんの婚約者はドイツ軍兵士であった。アンネが日記を書いていたころだ。どこかに出てくる小説みたいだ。
日本人の特長には、いろいろあるが、手先が器用で、絵、漫画、イラストが上手い。ジャポイズムは欧米で知られている。最近、英国では国会で漫画が取り上げられ、イギリス出身の在日漫画家を支援する動きがあるようだ。フランス政府から勲章をもらった日本人漫画家もいる。
日本は欧米に比べると、まだ安全のようだ。フランスのギラロッシュ社の息子さんが我が家に来たことがあるが、夜8時以降は電車に乗らないそうだ。危険なのだ。日本も厳しい時代に入りつつあるが、欧米は住むところではないと私は思っている。
米国気質 II
米国にはユダヤ人がおりますが、総じて日本に好意があります。ユダヤ人は「ユダヤ人という意識」がとても強いです。日本にはユダヤ人に関する本がたくさんありますが、実際にユダヤ人と交流した著者はほとんどいないように思います。
ウェスト・バージニアにB. R. Cooper 教授がおられましたが故人になられました。ユダヤ系ですね。 Cooper教授と私は共同研究をし、論文を連名でだいぶ書きました。非常に英作文が上手で、彼が書くと素晴らしくなります。戦後、彼はドイツから米国へ移住しましたが、そのとき、苗字を変えました。
彼はロックフェラー家と親交がありました。ロックフェラー家の子供が他界し、彼の名前をもらった教授でしたが、こうい風習は日本にはありませんね。 1990年代に、上記大学あげて、「日米親善」というシンポジウムを開催しましたが、主役はCooper 教授でした。 米国では、個人を大事にする風習が強く、道路や大学名は、ほとんど、人名に由来します。私の母校はCase Western Reserve University と言いますが、1967年まではCase Institute of Technologyでした。このCase は人名Leonard Case から取ったものです。彼は二本松出身の朝河貫一と同じ大学で、同じくらいの年代と思います。(記憶が定かでありません)。
米国気質 III
オハイオ州の南にケンタッキー州があります。この州には、リンカーンの丸木小屋、フォスターの我が家、「シェーカータウン」があります。この町は、確か18世紀に、シェーカーという宗教団体の人たちが作った「町」です。ところが、この宗教は「子供を 産まない」と宗教でした。ということは、いずれ滅ぶわけです。彼らが作った町には、郵便局、学校、鍛冶屋など何でもありです。しかし、1930年代(?)に一人となり、ついに無人になりました。
フォスターは、スワニー川という名曲を作曲されましたが、最後は不幸だったように思います。妻「スザンナ」が駆けつけたときは、他界していたようです。 スワニー川は、村上の農民をも引き付けた名曲です。
米国気質 IV
19世紀の終わりごろ、私の母校のマイケルソン教授とモーレー教授が「光の速度」を計りました。しかし、当時、誰も見向きしませんでした。しかし、マイケルソンはノーベル物理学賞を受賞されました。米国での最初の物理学賞です。不幸にも、二人とも頭がおかしくなり、最後は、幸せではありませんでした。モーレーは自分の車庫で細々と研究をつづけたそうです。モーレーは化学者で、空気中の窒素や酸素の構成を詳細に研究されました。このころ、マークトウエンの「トムソーヤの冒険」が出版されました。
上記の実験を、ジッと見ていた人がアインシュタインです。彼は、まず、「特殊相対性理論」を展開しました。原爆や原子炉のエネルギーはこの理論から来たものです。その後「一般相対性理論」を展開しました。 「この理論は、自分でなければ、構築できる人は自分以外に生まれないだろいう」と言いました。アインシュタインは解析数学が得意でした。
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