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ザ・戊辰研マガジン

2019年06月号 vol.20

会津の古墳~大塚山古墳~

2019年06月02日 11:59 by tetsuo-kanome

 戊辰戦争研究会の皆様は、もちろん会津を愛していると思いますが、なんとなんとその会津には、古墳時代の古墳が複数あります。会津盆地には、盆地周辺の山岳と丘陵地帯に広がる三つの古墳群が会津若松市、喜多方市、会津坂下町にあります。会津の古墳は、古墳時代の前期(2~4期)の古墳が多く、それ以後の古墳は見つけられていないそうです。逆に、同じ福島県でも、中通りと浜通りには、中期・後期の古墳も多く、近県の宮城、米沢・山形にも中期以降の古墳が見られます。大和王権の確立とともに、蝦夷政策の最前線が陸奥・出羽に設置され、蝦夷政策のエアポケットとなり、会津の重要性が無くなったのかもしれません。いづれにしても、古墳文化は早い時期に東北南部・会津に浸透していたそうです。会津が古墳時代から日本全体の中で、重要な土地であったことがわかると嬉しくなります。

 会津の古墳群の中で、会津若松市の大塚山山頂に立地する全長114メートルの前方後円墳が『大塚山古墳』です。福島県内2番目の大きさを誇っております。古墳全域が国の史跡になっており、出土品も一括して国の重要文化財に指定されています。完成時期は四世紀前半と言われています。発掘された副葬品は、東北で初めて出土されたものが多く、現在でも東北では会津大塚山古墳でしか出土していないものもあります。鶴ヶ城内の展示室では、その副葬品の一部を見ることができます。

【大塚山古墳の石碑】

【大塚山古墳から出土された埋葬品】

  「三角縁神獣鏡」は、「卑弥呼の鏡」と通称されることの多い鏡で、大和朝廷が服属した地方の豪族へその証として分け与えていたと考えられ、3世紀から4世紀にかけて畿内に成立した古代国家の勢力範囲を考えるうえで重要な遺物と考えられます。ちなみに会津大塚山古墳の三角縁神獣鏡は、岡山県備前市の鶴山丸山古墳のものと同じ鋳型であります。

 

 

  「会津」という地名には、有名な「四道将軍伝説」という地名起源説話がありまして、『古事記』と『日本書紀』の両方に登場人物の名前の漢字こそ違いはありますが、同じ内容で記載されています築造年代は4世紀末と推測され、東北地方では古い時期の古墳の1つになります。「崇神天皇は諸国平定のため4人の皇族将軍をそれぞれ北陸・東海・西道(山陽)・丹波(山陰)の4方面へ派遣しました。このうち、北陸道(「古事記」では高志国)へは大彦命(「古事記」では大毘古命)、東海道(「古事記」では東方十二道)へは武渟川別命(「古事記」では建沼河別命・大彦命の子)が派遣され、それぞれ日本海と太平洋沿いを北進しながら諸国の豪族を征服していった。やがて2人はそれぞれ東と西に折れ、再び出会うことができた。この出会った地を「相津」(あいづ)と名付けた」「相津」がのちに「会津」になったかもしれません)崇神天皇が3世紀~4世紀頃に存在した実在の大王と見られていることや、会津大塚山古墳が4世紀末の造営と考えられることから、大和朝廷の会津支配の始まりや会津大塚山古墳の被葬者を知る上でも注目される伝説であります。

 会津で大彦命や武渟川別命の伝説を色濃く伝えている神社は、伊佐須美神社(会津美里町)です。会津地方の式内社は磐椅神社(耶麻郡猪苗代町)、伊佐須美神社(会津美里町)、蚕養国神社(会津若松市)の3社となります。この内、伊佐須美神社のみが名神大社に列しております。伊佐須美神社は寛文7年(1667年)、会津藩主の保科正之の「神社改め」により仏教色を一掃されております。会津藩初代藩主の保科正之は卜部神道の大家 吉川惟足を師とし、幕府には神道方を置き、神道精神の復興に大きな貢献をしました。自らの葬儀も神式で行い、磐椅神社の末社として自分を祀るように遺言し、土津神社に祀られております。なぜ、保科正之は伊佐須美神社ではなく、磐椅神社を選んだのであろうかは謎です。正之が藩主になった江戸時代の初期にはまだ磐椅神社の方が地主神(縄文の神)で伊佐須美神社の方が大和朝廷側の神(弥生の神)としての色分けが濃厚であったのかもしれません。保科正之はより古くから祀られていた地主神を選んだのであろう。また、伊那の高遠で育った正之は、諏訪湖に親しんでいたのではと予想できます。猪苗代湖という湖が見える場所を自分の墓所としたいという感情は理解できます。

【伊佐須美神社】

 

【大塚山から望む磐梯山】

 いやぁ、会津が古墳時代の大和朝廷から重要な地とされていたことを知り、なんか嬉しくなりました。しかも、大塚山古墳にある大塚山霊園に「鹿目家代々の墓」があります。実は、「鹿目家の墓」をお墓参りに行った際に、大塚山の上まで車で登り、「大塚山古墳」の看板等を撮影しました。我家のお墓が大塚山古墳にあることは大変名誉なことです。

 

【記者 鹿目 哲生】

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