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【先祖たちの戊辰戦争・六】会津若松・滝沢峠

2019年06月05日 18:51 by tange

 明治6年(1873)10月、斗南での塗炭の苦しみを乗り越えた曾祖母・鈴木光子は、母と妹そして伯母と四人で会津若松へ帰還する。
 三年前、斗南へは新潟から大型船を使っての移動だったが、もう海路はこりごりと陸路を行く旅だった。田名部から野辺地、五戸、盛岡、石巻、松島、仙台、白石、福島、二本松を経て二十三日目に、懐かしの故郷、会津若松に辿り着くのである。
 故郷を目の前にした様子が回想記「光子」に綴られている。

 『会津国境の中山峠へ差しかかりました。この峠は、会津名うての要害の地、藩士がさんざん官軍を悩ました所だけあって、上りが急で、中々の難所であります。漸う漸う峠を越しますと、目の下に青々とした湖が、鏡のように目に映り、実によい景色です。あれは、会津で名高い猪苗代湖だと聞かされ、今までの疲労もまったく癒えた心地がし、会津も程近いと思いますと、長旅の苦労も忘れ、ひた走りに峠を下りました。
 某村に一泊し、翌日午頃、懐かしの故郷会津若松に帰り着きました。尤も途中、滝沢峠を下った所に坂下と申して茶屋が二、三軒ある場所がございます。会津藩士が東上の往き帰りに此の茶屋迄見送り又帰りを御待ちする所で、父の在世中は、度々着飾って御見送り御出迎えをした懐かしの茶屋であります。縁り深い峠に立って、過ぎ来し方を思えば、変り果てたこの身姿――今こそ帰り着いた懐かしい故郷――込み上げて来る嬉しさと悲しさに目が曇って来ます。何はともあれと、この茶屋に上がり、髪を撫で衣服を改めまして、田名部を出立以来二十三日目に愛宕町の大七方へひと先ず落ち着いたのでございます』


旧滝沢本陣

 私は、会津若松を訪れた夏の一日、滝沢峠に立ってみようと思った。
旧滝沢本陣(国の重要文化財)を左に見て少し上がると、「新奥の細道」と名付けられた滝沢峠を経て白河に至る自然遊歩道に入る。所々に寛永9年(1632)から11年に造られた石畳を残す道幅の狭い旧街道である。
 急峻な坂道を一時間ほど登ると、滝沢峠に達する。私にとっては、かなり厳しい登りだった。
 ここは旧白河街道の滝沢峠だが、当時の街道は、その目指す地の名称で呼ばれていた。つまりこの街道は、白河街道であると同時に、滝沢村に通じる滝沢街道でもあった。
 会津藩士たちは、この峠を越え、白河を経て江戸に向かった。江戸からも滝沢街道を通って会津若松に帰った。高祖父・鈴木丹下も、幾度となくこの峠を越えている。
 光子は、滝沢街道の最後の峠を越え、故郷に着いた。
 不安な気持ちいっぱいに斗南に向かい、その地で艱難辛苦の三年間を過ごし、やっと懐かしの古里に戻ってきたのだ。
 13歳の少女は、滝沢峠に立って感慨にふけっている。そのような時、眼下には天守閣や城下町が見えたと回想記に記される筈と、私は思っていた。現に光子は、中山峠を越えた時、猪苗代湖が目に映ったと記している。
 ここが「滝沢峠」とする標識のあるところに立って、私は驚いた。そこは、樹木が生い茂り、どの方向へも視界が開かれていない。滝沢峠は高度の低い樹林帯の中だった。従って光子は、そこからの眺めを書けなかったのだ。


滝沢峠・頂上付近

 この峠から少し城下の方へ寄り、滝沢街道からは外れた位置に飯盛山がある。そこからは鶴ヶ城と城下が見えていた。
 会津戊辰戦争の時、白虎隊として組織されていた16歳前後の少年たちは、飯盛山から城下の火災を見て城が炎上していると誤認し、これまでと自刃してしまう。飯盛山がこの滝沢峠のようであれば、彼らも命を失うことは無かったのであろう。
 私は、曾祖母も下った細い道を戻りながら、戦いに敗れた白虎隊の若者たちの急ぎ過ぎた「死」と少女光子のたくましい「生」を比べて考えていた。
 自刃した白虎隊員の全てが少しのためらいも恐怖も無く死についたとは、とても思えない。一方、「生」を選んだ若者たちにも、その後、西南、日清、日露戦争と越えなければならなかった幾つもの辛苦や、それら戦争ごとの生死の岐路があったはずだ。
 若い人たちに此のような「生」か「死」の選択を迫る事態は、もう二度とあってはならない。
 それは、会津戊辰戦争が現代に生きる私たちに残した唯一の教訓である。


 白虎隊墓所

(平成27年7月、鈴木 晋)


(次回は、明治11年に光子と母・美和子が鶴ヶ城址で遭遇する奇跡のような出来事についてです)

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