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ザ・戊辰研マガジン

2019年05月号 vol.19

あずさ弓の如く

2019年05月06日 18:19 by tetsuo-kanome

“あずさ弓むかう矢先はしげくとも

        ひきながらえしそ武士の道”

  この歌は、白虎隊士中二番隊の一人飯沼定吉が出陣の際に母が詠んだ和歌である。「武士ならば命を惜しむことなく敵陣に真っ直ぐに突き進み見事打ち果ててこい放たれたあずさ弓の如く」の意味の和歌。 

 会津藩白虎隊士中二番隊が飯盛山で集団自刃した理由は、「城が落ちたと誤解して」とされ、子供ゆえの錯覚による悲劇と100年以上にわたって伝えられてきた。しかし、真相は違った。自刃した白虎隊士の中で唯一奇跡的に蘇生した飯沼定吉は、自刃に至る経緯をリアルに書き残していた。白虎隊士たちは、帰城説、玉砕説を巡って激論を戦わせたあと、最終的に「死すべき義に当ったときに死して武士の本分を明らかにする」ため自刃の道を選んだという。飯盛山で白虎隊士七人が自刃し、飯沼定吉だけが生き残ったのである。

 

【白虎隊の真実】

 そして、生き残った飯沼定吉には空白の二年間があった。

 戊辰戦争では敵同士だった会津と長州。 長州藩士の楢崎頼三が戊辰戦争から凱旋してきた時、彼は 「貞さぁ」 と呼ばれる少年を連れていました。それは明治元年十二月、今にも小雪が舞いそうな寒い日のことで……。謎の少年 「貞さぁ」 は、実は生き残りの白虎隊士飯沼定吉だったのです。

【長州藩士 楢崎頼三】

 飯沼定吉の直系の孫の飯沼一元氏は「飯沼定吉を二年間養育してくれた長州藩士の楢崎頼三は藩敵であり、飯沼家の仇であり、さらに白虎隊の仇だった。でも恩人だった」と語っております。この話は、飯沼家にも楢崎家にも書き物としては一切残っておらず、唯一飯沼定吉を世話した山口県美祢市の高見家で代々口伝えで語り継がれてきました。 

 

[高見フサの口伝「楢崎屋敷物語]

 小雪の今にも舞いそうなある日、楢崎のお殿様が戦争が終わって戻ってこられるということで小杉村中の者たちが総出で集落の一か所に集まって出迎えたげな。しばらくすると、遥かふもとから軍服に身を包み馬に乗ったお殿様と、その一行の姿が見えてきた。段々と近づいてくる一行をよく見ると、お殿様の馬の轡を持っているものは村人たちが初めて見る少年じゃった。この少年が会津藩の白虎隊士で、飯盛山で仲間と一緒に自刃したが、助けられたただ一人の生き残った「貞さぁ」という名の少年じゃった。その日の夜は、お殿様の凱旋のお祝いでお殿様の屋敷に村の者たちが集まって、飲めや歌えの酒盛りとなった。宴が進む中で、末席に座っていた「貞さぁ」に一人の村人が話しかけた。「お前、生きちょってよかったなぁ、まぁ一杯飲め」この言葉を聞いた「貞さぁ」は、さっと顔色を変え土間に飛び降り今にも自害しようとする気色じゃったそうな。ただごとでない様子に駆け寄った楢崎のお殿様は、「貞さぁ」を別室に呼び、次のように諭されたそうじゃ。「貞、よう聞けよ。お前も知っちょると思うが、いま日本の周りにゃ黒船がうじょうじょしちょっていて、日本を領土にせんと、虎視眈々と狙うちょるでよ。会津、長州ちゅうて、日本人同士がいつまでも喧嘩をしちょる時じゃないでよ。今からは皆が心をひとつにしてこの日本豊かで強い国にせんにゃいけんのじゃ。そして、その中心はお前たちに本の若者じゃ。命を粗末にしてはいかん。ええか貞、しっかり勉強せい。そして日本の役に立つ人間になれ。お前の学費はわしが出す。貞、安心して勉強せぇよ」楢崎のお殿様の話をじっと聞いていた貞さぁは次の日からお殿様の書斎を借りて生まれ変わったように勉強に励んだそうじゃ。貞さぁは、福澤諭吉の「西洋事情」や「電信の関係本」を二年間熱心に勉強しよったそうじゃ。

 

 【長州藩士楢崎頼三と白虎隊士飯沼貞吉の恩愛の碑(山口県美祢市)】

  飯沼定吉は、後に飯沼貞雄と改名し、明治時代、逓信省にて日本の電信発展に多大なる貢献を果たし、日清・日露戦争では「青色桐葉章」「雙光旭日章」を賜る功績を残しました。軍人としての最終階級は陸軍大尉。

 飯盛山には、白虎隊士十九名の墓の近くに「飯沼貞雄の墓」が葬られている。

  2013年に発売されたこの「あずさ弓の如く」を私は初めて知ったときは、漫画であってもすぐに注文して手に入れました。上巻と下巻を一気に読むと、まさに“目からうろこ”でした。約150年もの間語られることのなかった会津白虎隊の生き残りの飯沼定吉と長州藩士楢崎頼三、そして少女高見フサの敵味方を超えた心の交流の物語であり、とても感動しました。何度も何度も読みましたが素晴らしいです。2014年9月29日に日本テレビの「NNNドキュメント」 で「会津白虎隊の残映~思いは時を超えて~」と題してこの真実の物語は放送されました。私は残念ながら見逃してしまいました。しかし、長州藩士の楢崎頼三が飯沼定吉を二年間もかくまって養育したことは、貴重な貴重な真実であり、会津と長州の関係も未来志向であるべきと強く思いました。 

【記者 鹿目 哲生】

 

 

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