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ザ・戊辰研マガジン

2019年05月号 vol.19

2019年(令和元年)5月号の表紙

2019年05月05日 12:03 by norippe
2019年05月05日 12:03 by norippe

 平成から令和へと元号が変わりました。天皇が変わる時に元号が変わるという「一世一元」の制度は薩長が政権を握った明治から始まりました。元号が変わるという事は、日本の歴史の上では大きな出来事です。しかし当マガジンは西暦表記なのでなんら変わりはありません。



 2019年5月号の表紙は長崎にある「グラバー邸」、その写真にバラを重ねてみました。5月の花というと牡丹やツツジ、母の日のカーネーションなどがありますが、何と言っても薔薇が一番ではないでしょうか。「忘れないで、忘れないで・・・」という歌い出しから始まる「5月のバラ」という歌があります。愛する人との別れ歌で、ちょっぴり淋しい歌です。「100万本のバラ」というのもあります。こちらは愛する人に沢山のバラを捧げる歌。愛情表現には薔薇の花は欠かせませんね。私もこれからは好きな人にはバラの花を贈る事にします。と、話が違う方向へ進みそうなので、「グラバー邸」の話に軌道修正します。

 明治維新を語る上で、このグラバー邸の主人であったトーマス・ブレーク・グラバーは重要な人物ではなかったでしょうか。グラバーは、幕末内戦に倒幕派へ武器弾薬を調達した「死の商人」として知られています。また幕末の志士達に思想的、精神的に大きく影響を与え、中でも坂本龍馬への影響は大きいものがありました。
 1863年、英国人のトーマス・ブレーク・グラバーは、24歳のときに長崎港や製鉄所、船の出入りが良く見える南山手の高台にこのグラバー邸を建築しました。このグラバー邸は、現存する最古の洋風木造建築であると同時に、最初の和洋折衷建築といわれています。特徴はL字型バンガロー、扇型の屋根に瓦葺、レンガの煙突、コロニアル風大型窓など。アーチ型のドアは全てが洗練され、窓越しに庭を隔てて港が一望できる、南山手の外国人居留地でもっとも立地の良い場所に位置しています。
 貿易、炭鉱、造幣、三菱の顧問、キリンビール、いずれも舞台となったグラバー邸。21歳のグラバーは貿易商見習いとして来日。お茶や生糸の輸出から始め、やがて討幕派を支援し勤皇の志士を匿い、武器弾薬、中古軍艦の輸入を手がけます。そののち長州五傑や薩英使節団の支援、軍艦修理のため薩摩藩と共同で小菅修船場を造りましたが1870年にグラバー商会は破綻。その後も日本に残り高島炭鉱を佐賀藩と共同開発を行うも浸水により閉山。大阪造幣局立上げに関わり、三菱の顧問として活躍し、明治屋と一緒にキリンビールを世に出します。その波乱の生涯は、日本の近代化草創期へ大きく貢献していきました。亡くなる3年前の1908年に伊藤博文、井上馨の推薦により明治天皇から「勲2等旭日重光章」を贈られています。
 「蝶々夫人」と異なり、来日後52年間を波乱万丈ながら日本で過ごし、73歳の生涯を閉じています。劇中のピンカートンは妻と子どもを置き去りにして帰国していますが、グラバーは21歳で来日し、その後ツルを妻に娶ります。ハルと富三郎の二人の子をなし、波乱万丈ながらも73歳で生涯を閉じるまで日本で暮らしていました。その後、グラバー邸は息子の倉場富三郎(TomisaburoAwajiyaGlover)夫妻が住んでいましたが、戦艦武蔵建造の秘密保持のために1939年三菱重工業長崎造船所が買収し、第二次大戦後アメリカ進駐軍の司令官公舎を経て、1957年三菱重工業長崎造船所創業100周年祝賀記念行事として長崎市に寄贈されました。

参考文献:九州の世界遺産「旧グラバー住宅」

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