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桜宝寿のいろいろ感想、「西郷どん」第46回「西南戦争」第47回「敬天愛人」

2019年05月05日 22:38 by katsukaisyu

日本で最後の戦い

 武力を背景に、東京へ陳情に行くと、兵を挙げた西郷たち私学校の面々です。政府の方針は彼らを賊として、追討することになりますが、庶民の方は「世直しのための戦い」と、西郷軍を支持したということがドラマ化されていました。似たような話に、この戦争より40年ほど前の大坂で起こった大塩の乱があります。天保8年(1837)、大塩平八郎が起こした乱で大坂の町の3分の1は炎上したと伝わりますが、「救民」を掲げて兵を挙げた大塩を庶民は恨まず、今も大塩の人気は高いです。

 いったん、延岡で軍の解散命令を出し、己の欲するところに従えと諭す西郷です。残った兵たちは自らの志で戦う武人ですねぇ。西南戦争は文字通り、ソルジャーではなくウォリアーであった侍たちの最後の戦いとなりました。筆者は桂久武が大好きで、いい味を出されています。一度は武士をやめた久武さん、西郷を見送るために家を出て、出陣する西郷たちを目にしたら、刀を家にとりに行かせて、そのまま一緒に出陣したエピは久武さんの心意気を感じます。今回、見事に戦死され、この方も武人でした。

 ドラマの方はあっさり、西郷軍の延岡から鹿児島への14日間の山越え帰還行をすっ飛ばしていましたが、ドキュメンタリー風の別番組で、彼らの苦難の14日間の行軍模様を見たことがあります。後の世の人々は、西郷たちが立ち寄った場所に石碑を建てて顕彰し、その記憶を今に伝えています。

 城山での突撃の前夜、殿が表れてくれました。西郷を迎えにきたのでしょうか。西郷の最期、自刃で終わりませんでしたね。史実では別府晋介が介錯しました。その折の別府の刀が霊山歴史館に展示されています。

 南洲墓地にお参りしますと、驚くのは指揮官たちの戦死者の多さです。普通、戦争では前線の若者は亡くなりますが、老練な指揮官たちは負ければ罪に問われることはあっても、戦死はなかなかしないものです。明治2年に終結した箱館戦争で、箱館共和国の閣僚クラスで戦死したのは陸軍奉行並だった土方歳三ぐらいで、後は皆生き残り、東京に収監されました。西南戦争では、同郷同士、家族内で別れて戦ったということで、逆の意味でより徹底的にとことん最後まで戦ったからかもしれません。

  西郷家の男たちは次々と亡くなり、「皆いなくなった」と、琴が嘆いたと伝わります。大石内蔵助も、真田信繁も長男を死に出の旅に連れていきますが、西郷は長男に生きよと命じ、次の世のために残していきました。菊次郎は京都市長となり、大久保の息子は大阪府の知事となり、次世代の人たちも世のために活躍しました。

 維新以来、早急に敷設した電信技術の威力はすごいです。戦争は悲惨ですが、イノベーションの推進力でもあります。西郷が侍たちを引き連れて戦死し、この国から内戦は無くなりました。日本は未来永劫、内戦をしそうにないアジアで唯一の国と言ってもいいかもしれません。  西郷家の犬たちえらい!!山野を超えて、見事に戦場から帰ってきました。

 先日、案内していただき、田原坂に行ってきました。鹿児島へは「篤姫」の時に訪れたので、今回は熊本へ行きました。ご案内いただいた熊本在住の知人に大感謝です。ここは車がないと、なかなか移動が大変です。「いだてん」にも引き続き田原坂の話が登場して、びっくりです。  田原坂へ向かう石橋です。西郷軍は大砲を引いて、この石橋を渡ったとか。

 田原坂へ入る口の部分です。奥の方へ上る坂が田原坂です。雨は降る降る人馬 は濡れる、超すに越されぬ田原坂と歌われた坂です。

 坂を上から見下ろした写真です。

 この風景一帯で激戦が行われました。

 坂の上には、激戦の跡を示す土蔵が再現されていました。

 坂の上には資料館があり、訪問した時は「会津と熊本」展をやっていて、ドラマにも登場した警視庁の抜刀隊に会津武士たちが多数参加したことを伝えてくれていました。元会津藩士、佐川官兵衛は南阿蘇で戦死したそうです。もう一人、有名なのが元新選組隊士、斎藤一こと藤田五郎ですが、彼は大分から九州に入り、鹿児島には行かず、途中、砲撃されて負傷しました。後に警視庁から表彰されたようですし、それなりに戦場ではやってきたのでしょう。

 坂の上に両軍、双方の戦死者の名簿が記されていました。西郷に桐野、篠原、佐川も。

 こちらの像は「美少年の像」と題されています。モデルは村田新八の息子だとか。

 田原坂から降りてきた場所にある河原林戦死の場所を示す碑ですが、河原林は官軍側の乃木希典隊の旗手でした。彼の死により乃木隊は隊旗を奪われ、乃木は自刃しようとしたのを明治帝に止められ、日露戦争などの活躍を経て、明治帝の崩御に際して、夫人とともに殉死しました。この場所での隊旗奪取が殉死の遠因だとか。

 「西郷どん」、一年間、本当に楽しませていただきました。西郷を演じられた鈴木亮平さんには感謝です。しばらく、幕末のドラマは作られないでしょねと思いきや、BSで「小吉の女房」(勝海舟の両親)の放映が始まり、案外、あるものだと思いました。地上波でもやってくれたらいいのですが。  現在の筆者の楽しみは、京都テレビ日曜朝、5:05始まりの「鞍馬天狗」(1974年)です。天狗を竹脇無我さんが演じておられ、新選組隊士をばったばったと切り捨てています。現在なら、ネットで炎上しそうなドラマですが、近藤勇を若林豪さん、土方を成田三樹夫さん、沖田総司を古谷一行さんが演じておられ、彼らも準主役級です。もし、京都テレビが映るのなら、ご覧になってみられるといいです。

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