ザ・戊辰研マガジン

2019年04月号 vol.18

3.11あの日あの時、私はF1近くの海上にいた

2019年04月05日 22:15 by norippe

 東日本大震災から8年が過ぎ、徐々に復興は進んでいますが、福島の場合は原発被害が絡みまだまだ先の長い復興となっています。
 今回、いわきフォーラム’90のミニミニリレー講演会では、あの巨大津波を福島第一原発の近くの海上で体験したという船乗りの鈴木正明さんの講演会があり、戊辰戦争とは関係ありませんが記事に取り上げてみました。

平成31年3月12日 PM7:00~
いわきフォーラム’90
第493回ミニミニリレー講演会
場所 いわき市飯野公民館
講師 鈴木正明さん
演題 3.11あの日あの時、私はF1近くの海上にいた


講演会風景

 今回はいつものいわき市文化センターの建物が工事中のため、いわき市飯野公民館に会場を変更しての開催となりました。講演風景の写真で演壇に立っている方が講師を努めた鈴木正明さん。ビデオカメラを操作しているのが講演会運営の瀬川さん。聴講者は10名程でした。
 海の上での地震・津波体験は一般の人には出来る事ではないので、皆さん講演の内容に真剣に聞き入っていました。また、船の話や遭難の話などもあり、Z旗の話が飛び出したり、東郷平八郎や山本五十六まで飛び出した講話が気を引きました。
 東京電力福島第一原子力発電所の南にある富岡町というところには第二原発があり、さらにその南にある広野町(いわき市の隣町)に東電の広野火力発電所があります。鈴木さんは震災当時この広野火力発電所がある海で船に乗っていました。


東京電力広野火力発電所


以下、東日本大震災の記憶~とよま三区46の正言~に書かれた内容です。

~~~震災当時はどちらにいらしていたんですか~~~
私の場合はね、ちょっと特殊なんだけど。まず地震起きたときは自宅にいなかったんですよ。私は東京電力の広野火力発電所に勤務してたの。そこでタグボートに乗ってたんですよ。日本語にすると「曳船」港に大きい船を入れたり出したりするエスコート船なんです。そのときに五千トンタンカーが一捜、港にいたんですよ、広野火力に。私らはその船を助ける義務を持ってるんですよ。でもあまりの強大な地震、津波がすごくて施設が壊れちゃって。この船には10~13人乗船してて。この船はだめだってことになって船体放棄して避難した。ところが私らは船を守らなきゃならないから、沖へ行って出ていって。そのときに津波第一波が来た。それを乗り越えて。
~~~乗り越えたんですか~~~
それはまだ良かったんですが、広野ってところはずっと壁なんですよね、山で。津波がダァーっと行くのを見てたんですよ、砂煙出して。ところが山で屏風になってるから、屏風にぶつかった波が戻ってくるんですね。こういう経験はなかなかないから、船に乗って初めての経験だった。陸にいるより、海にいるほうが地震を早く感知しやすいんですね。船の半分は海に侵かってるでしょ。だから地震来た時にいち早く感知したんですね。三月十一日、十四時四六分に発生して、三月の金曜日だったよね。
~~~はい~~
十四日の月曜にね、小名浜港にタグボートで人ったんです。五千トンタンカーが沖に流されちゃったんで、引っ張ってきたんですよ。穴が開いてたんですが、穴が開いてるとどういうことが起きるかというと、波が入って沈んでしまう可能性があるわけね。二百メーターのロープで引っ張ってきたの。ところがあんまり深いところへ行って、タンカーが沈んじゃったら自分らも持ってかれちゃうでしょ。だから水深五〇メーターのところを航行した。そうすると、どういう事が起きるかというと、ガレキ、柱とか屋根とかいろいろ流れてきたわけですよ。プロペラ曲がっちゃいますから、それを避けながら走って。この中ゴミなわけですからね。海上保安部に、船を引っ張ってるからっていう登録をして、周りに船が近づかないような処置を取りてもらった。
~~~海での話ですものね~~~
そう。海なので。それで遺体がきたらどうしますかって。遺体見つけたらと遺体の安置所を作ってたんですよ。でも遺体は無かったから良かったですよ。そして第一原発が水蒸気爆発起こしたでしょ。あのときはちょうど近くにいたんですよ。風向が、南風十ニ~三メーター吹いたんですよ。だからいわき市の方は放射線が少なかった方なんです。そのとき風震っつうのかな。ビューンという振動が来たんですよ。来たってことは放射能被っちゃったのかと思ったんですけど。
~~~その船にはずっといて避難はしなかったのですか~~~
避難するどころではなかったですよ。東電から「どこそこにいろ。」っていう指示がありましたから。三月の十四日、十四時ころかな。タンカーを大阪の船に引き継いでもらったの。それで引き渡してから小名浜港に入ってきたの。それから会社でいろいろミーティングして、家に帰ってきて、息子の部屋、いわきの赤井に二日ばかり避難していたんですよ。そのあと、三番目の息子の嫁さんのじいさんが茨城県の牛久に部屋一軒借りてくれたの。で、そこに移動しようと思ったの。ところが、タグボートっていうのは、港の守り神なんですよね。何かあったとき人命救助をしなければならない。そんなもんで、日立まで行ったんだけど母ちゃんと二人でいわきへ帰ってきた。
~~~茨城には行かずに戻ってきたと~~~
職業柄ね。放棄はできないもんですから。やっぱり何かあったときはそういう任務がありますから、行ったんだけど引き返してきた。私らは船員なんですよ。船乗りね。船を守ることが第一主義なんですよ。結局、海上作業員とは若干違うんですよね。日本の船は、海軍のころは船が沈んだら救命ボートに船長の席はないですからね。船長は「船と共に」ですから、昔の海軍は。今は違うけどね。あれあれ、韓国のなんとか号とかあったでしょ。船長が逃げちゃったやつ。あれはね、だめなの日本では。やっぱり人命が大事だからね。船長が指揮執んないとだめなんですよ。
~~~それでは、震災の後もずっと忙しかったのですか~~~
いやあ、忙しかったよ。東京電力で電源がなくなっちゃったでしょ。そうすっと、どこに電源を求めっかっていうと、広野火力なんですよ。広野火力は「調整火力」っていって、どういうことかっていうと、温度が三度上がればエアコンをいっぱい使うでしょ。すっと、水力発電とか原子力発電っていうのは百%でしか発電できない。ところが火力っていうのは、自動車のアクセルと同じで、アクセルをブワーっと吹かせれば、グーンと上がんですよ。そのために調整できるわけ。そういう役目を持った発電所なんですよね、広野の火力っていうのは。小名浜から毎日石炭を運んでんですよ。私はね、地震が起きてから、広野の火力を立ち上げるために、ガレキのある中で、油もなにもなくなったところで横浜に行って、船を整備したんですよ。それが大変だったですね。私らがいないとタンカーが入らなんないんですよ、石炭のタンカーなんかが。国策としてここの火力を立ち上げないと電気が賄えないって言ってたんで、ここを早く復旧させたかった。そういう任務だったもんですから。毎月毎月いろんな訓練はやるんですよ。ところが今回の地震は訓練では収まりきんない。想定外。
~~~震災時に苦労した点などはありますか~~~
私、車一台流されちゃったのよ。会社に置いておいたでしょ。船助けるのに車流れちゃったのよ。しゃあないね、そういう職業だから。地震保険にでも入っておけば良かったんだけどね。車二台持ってたんだけどね、一台はレジャー用ので家に置いておいたんですよね。ところがね、会社に行きたくてもガソリンがなかったのよ。そんでガソリンスタンドに並んで行ったでしょ。そして俺の番になったら「あんたはだめ。」ってこう言われちゃったのよ。私がそこのスタンドを使ってなかったからだと思うんだけどね。それはちょっとね、ショックだった。並んでさ、俺の番になったら「あんたはだめ。」って、こうなったら、ね、え。ショックだったね。同じ人間としてさ。だから会社にね、ガソリンないから走れないよって申請したの。ガソリン入ったら会社に行けるからって。そうでしょう。歩って行かんないから。まあ、そういうことはドサクサ紛れ、困ったことで。家ではドラム缶一本分くらい灯油は確保しておいたもんだから、女房と二人で避難しないで家にいたんです。
~~~震災当時を振り返って学んだことや考えたことはありますか~~~
訓練あるでしょ。訓練はやっぱり訓練のための訓練であって、一番肝心なのは、緊急避難場所っていうのかな。」高台に作んないとダメなんですよ。歩ってるうちはだめですから。近くの高いところに、緊急避難所ってのを作んないと。だから中央台に逃げる道路を作ってもらわないとですね。道はあるんですよ、でも細くてだめなんですよ。昔のリアカーで歩くくらいの道路だから、そこをドンと抜ければ中央台に行けんですよ。逃げるが勝ち。時間との勝負だよ。歩って逃げるより、近くにね、緊急避難場所っていう高い場所を作って。そういう場所に行かないとだめですよ。


福島の海を走るタグボートの一部


鈴木正明さんってどんな人?
いわき市出身70歳
◆乗船履歴
豊間中学校
富士通入社
新東水産(株)江名港漁船約23年乗船
北洋・ニュージーランド向け漁船
LPGタンカー3年乗船
曳船20年乗船
◆活動
大国魂神社(塩焚き)
諏訪神社総代(沼の内)
不法投棄監視員(豊間地区)
古峰神社講中代表
◆趣味&特技
錦鯉・沖釣り・山菜とり

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