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コーヒーブレイク「種々の小さな話」

2019年03月07日 21:32 by kohkawa3

その三十八 シャツ・アウト

 作家の橋本治が死んだ。著書の桃尻語訳「枕草子」をよく読んでいた時期があった。「春って曙よ!」で始まる枕草子は、桃尻語訳もさることながら解説がまた面白い。
 第二段にこんなのがあった。
 「桜の直衣(のうし)に出袿(いだしうちぎ)して、まらうどにもあれ、御せうとの君達にても、そこ近くゐて物などうち言ひたる、いとをかし。」
 桃尻語訳『桜の直衣に出だし袿のシャツ・アウトして、お客様だっても、お兄ィ様だっても、そこの近くに座ってお話なんかしちゃってるのは、すっごく素敵!』
 解説によると、貴族の普段着である直衣で、桜のような色の袿(うちぎ・内着)を袴(パンツ)から出すシャツ・アウトを、清少納言は「すっごく素敵!」と思っていた。しかし、千年前の高齢者は「今どきの若いもんはだらしない」と言ってなげいていたという話があった。
 カジュアルな服装で、シャツをズボンの外に出すのは今どき当たり前だが、私は未だに抵抗がある。
 先日、高齢者仲間と話をしていて、最近女房にいわれてシャツをズボンから出してるが、どうもしっくりこないという人がいた。その奥さんいわく、シャツをズボンに入れるのはダサいのだそうだ。
 よけいなお世話だと思うが、街を歩いて高齢者を観察するとシャツ・アウト派が多数を占めているのは確かである。シャツ・イン派はそのうち絶滅危惧種になるのだろう。既になっているのかもしれない。
 小学生の頃のことである。母親が婦人会の旅行に行った。旅行から帰ったおばさんたちで井戸端会議を開いていた。
「まったく、トミちゃんたら、膝が出るようなスカートはいてきたよ。」
「みっともないねえ」
などと話していた。
 50年以上も昔、田舎のおばさんのスカートは膝が隠れるのが当たり前だった。それから半年も経たないうちに、母も含め近所のおばさんたちのスカートは膝上が当たり前になった。ファッションリーダーのトミちゃん恐るべし。
 そのうち私も涼しい顔をしてシャツ・アウトしているのかもしれない。


その三十九 記憶のメカニズム

 最近、老化と記憶の関係を解説した本を読んだ。
 人間の脳というのは1000億個の神経細胞によって構成され、それらの神経細胞が数本から数千本の腕のような軸索でつながっている。その結合はシナプスと呼ばれる。記憶はこのシナプスが活性化する組み合わせのパターンによって蓄えられるという。
 シナプスがどうつながったのかわからないが、何度も記憶に再生される話がいくつかある。そのどれもあまりに下らない話ばかりで、一体自分のシナプスはどうなっているのか疑問がわいてくる。その中の一つ。
 若い頃のことである。総合文芸誌をペラペラめくっていると、ひとつの短編に目がとまった。たぶん、筒井康隆の小説だったと思う。何十年も前のことなのでうろ覚えであるが、以下のような内容だった。
『主人公の「僕」は30代の独身、地方都市の郊外の一軒家に住んでいる。隣の家には新婚らしい若い夫婦が住んでいる。
 奥さんは色白の美人、道で会えば気さくに挨拶もする。いいなあ、などと思っている。ところが、亭主はネジが緩んだようなヌーボーとしていて冴えない男で、なぜこんなカップルができるのか不思議で仕方がない。全く不釣り合いな夫婦なのである。
 ある日の夜、奥さんがこまったような顔をして訪ねてきた。何か事故があったらしく、助けてほしいという。救急や消防に依頼するほどの事故でもないのかもしれない。それにしても、亭主はどうしたんだ。いろいろ考えながらも奥さんのあとについて隣の家に向かった。案内されたのは浴室であった。
 そこには、お湯の抜けた湯船の中に裸で尻もちをついている例の亭主がいた。何とも間抜けな姿である。
 何があったのか。顔を赤らめて語る奥さんの話はこうである。
 例の亭主は風呂に入ったあと、湯を抜きながら排便するのが趣味なのだそうだ。排水口に湯とともに勢いよく便が吸い込まれるのがたまらなく快感らしい。
 今夜もいつものように楽しんでいると、何かの拍子で排水口に玉が吸い込まれ、抜けなくなったという。
 説明を聞きながら「僕」はしばらくボーゼンとしていたが、気を取り直し、男の脇の下に手を差し込んで思いっきり引っ張った。
 「ギャー」「ギョエー」という悲鳴ばかりで、一向に状況は変わらない。
 いったい排水口の下はどうなってるのか?「僕」は男の股間にうずくまり、排水口の隙間から指をさしこんで観察した。
 湯船の排水口を抜けると、下には空間が広がっており、袋の中で玉が横に並んでいて、つかえて出てこない。どうしたもんだろう。
 しかし、とにかく吸い込まれたのだから出てくるはずだ。横になっているモノを縦にして1個ずつ取り出せば良いのかもしれない。
 排水口の隙間は左右の指2本づつしか入らない。玉をつかもうとすると「グニュ」「キュル」と指の間をすり抜けてしまう。湯船にうずくまる「僕」の頭上では亭主のうめきともため息ともつかない「ぐっ」「うっ」といった息づかいが聞こえる。
 悪戦苦闘の末どうにか助け出すことができた。その間に亭主の股間は目覚め、「僕」は目の前の現実に打ちのめされると同時に、不釣り合いな夫婦の謎も了解した。
 「僕」は上気して桜色に頬を染めた奥さんに礼を言われ、隣家を後にしたのだった。』
 なぜ、何十年も前のこんな話を繰り返し反芻しているのかわからない。自分のシナプスは一体何に反応しているのだろう。記憶のメカニズムに関する本を読んでいて情けなくなった。


その四十 桃の節句

 今年の桃の節句は日曜日だった。日がな一日家でごろごろしていたが、平成最後のひな祭りは各地で賑やかに行われたようだ。
 桃の節句は長女が生まれた時に、初めて経験した行事だった。私は男ばかり4人兄弟の中で育ったので、端午の節句しか知らない。五月の空に泳ぐ鯉のぼりを見ながら柏餅を食べて終わりである。兄弟も四人目となると部屋の奥まったところに飾ってある樟脳くさい五月人形は、マサカリ失くした金太郎やヒゲのとれた優しい顔の鍾馗様などでぱっとしない。
 30年も昔、長女の初節句を前にして、休みのたびに浅草橋や岩槻などで雛人形を探し回った。奮発したつもりだったが、予算の範囲では段飾りには手が出ない。男雛と女雛の対の木目込人形を選んだ。歩き回ったかいあって美男美女の雛人形を手に入れることができた。
 子供が小さいうちは人形を飾るのも楽しみであった。花瓶に活けた桃の花が雛人形に比べてやけにデカかったのを覚えている。しかし、もう何年も見ていない。一対の雛人形といっても屏風や飾り台などそれなりに大きく、出したらしまわなければならない。
 蕪村に雛人形を詠んだ句がある。

 《箱を出る皃(かほ)わすれめや雛二対(つい)》

 「俳句鑑賞歳時記(山本健吉)」によれば、「待ちに待った桃の節句になって、雛を箱から取り出す少女の心のときめきを詠んでいる」ということだが、解釈がいくつかある。
 一年間別々の箱に入っていた雛人形同士がお互いの顔を忘れてはいないかという少女のあどけない気持ちの意味。また、大好きな雛人形の顔を忘れることがあろうかの意味。「二対」から姉妹を想像し、幼い姉妹がそれぞれ自分の雛の顔を忘れることがあろうかの意味、などなど。
 私はといえば、大好きな雛人形の顔を忘れることがあろうかというこころである。
 といいながら20年以上も経てば、思い入れのある雛人形の顔も忘れてしまう。お雛様同士も永のご無沙汰である。お互いの顔も忘れてしまっただろう。
 来年は男雛と女雛を再会させてやりたいなあと思いながら、平成最後の桃の節句は何事もなく過ぎて行くのであった。
   (大川 和良)

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