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ザ・戊辰研マガジン

2019年03月号 vol.17

小田山西軍砲陣跡

2019年03月03日 19:14 by tetsuo-kanome

 小田山は、会津若松市の市街地の東側にある標高372mの山。この小田山の中腹に西軍砲陣跡があり、数年前、私はどうしても自分の目で見たいと思い、駐車場から徒歩で山登りで実際に行ってきました。緩やかな坂道を約20分ほど登ると「西軍砲陣跡」に到着。

 

 西軍砲陣跡から鶴ヶ城を実際に臨むと、まさに真正面に鶴ヶ城が見え愕然としました。まさに、小田山は鶴ヶ城の最大の弱点であったと改めて知ることができました。小田山から鶴ヶ城までは、約1.6キロメートルの距離。

 

 この西軍砲陣跡地から西軍は鍋島藩所有の当時の最新式大砲であり射程距離2キロメートルもあるアームストロング砲を使用し、鶴ヶ城に対して連日連夜2,800発もの砲弾を撃ち込んだのある。

 

 

  そして、会津藩は鶴ヶ城での約一か月の籠城戦に耐えて降伏したのである。皆さんもご覧になったことがあると思います当時の無残な鶴ヶ城。

 大河ドラマ「八重の桜」の劇中でも紹介されておりましたが、戊辰戦争が始まる前に、会津藩は会津若松市内の小田山や背炙山は重要な拠点であることを認識しており、この小田山を西軍の砲撃場所とされてしまったことが改めて悔しく思いました。残念ながら、当時、小田山のふもとにある極楽寺の僧侶が西軍を小田山に導き、西軍は小田山に砲陣を設けることを決定。後日になって、この僧侶は会津藩主だった葦名家の血筋であったことがわかったそうです。この僧侶がどうして西軍を小田山に導いたのか本当に解せません。

【記者 鹿目 哲生】

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