ザ・戊辰研マガジン

2019年2月号 vol.16

桜宝寿のいろいろ感想、「西郷どん」第37回「江戸無血開城」

2019年01月31日 18:42 by katsukaisyu

西郷どん、ありがとよ

 今回のメーンテーマは、「江戸を攻めて、慶喜の首を取る」と決めて、京を進発してきた東征軍の先鋒隊参謀、吉之助がいかに心変わりしていくのかを、旧幕府側の人間、3人との会談の中で丁寧に描いていました。

  まずは、天璋院との会談で、元ははるか上位の天璋院(吉之助にしてみれば、主筋にあたる人物。斉彬の義娘)が慶喜の首は差し出すから、「徳川家」を残してほしいという要望は、あっさりと却下。

 次いで、幕臣代表の勝海舟が、江戸城と武器一切を差し出すから、江戸の民を救ってくれという要望には、心を動かされる吉之助です。物語を通じて、ずっと、民のために」をスローガンに活動してきた吉之助ですから、これは当然ですわね。戦さをすれば、長州が京を攻めた禁門の変の時のように、民が迷惑するのは、十分予測できます。たとえ、戦さに勝っても、未来永劫、悪評を被ります。

  もう一つは、白装束で殺される覚悟の慶喜との会談で、慶喜から外国の介入を避けるために、内戦を避けるつもりだったと聞かされて、翻意した吉之助でした。 加えて、東征軍が江戸総攻めを回避した背景には、旧幕府の海軍の影響があります。この時期、海軍力は旧幕府側が圧倒的で、品川に榎本艦隊が停泊していて、無言の圧力をかけていました。江戸を火の海にするつもりなら、艦砲射撃という手があります。江戸城は海に近いので、十分射程距離だったとか。ドラマでは、引き渡しを拒否した海軍は、榎本武揚を筆頭に江戸湾から退避していました。箱館戦争まで、ドラマでやってくれるのかなぁ。

  いずれにせよ、江戸は無事だったわけです。勝は吉之助に「西郷どん、ありがとよ。」と言っていましたが、このセリフを描くために、今回のドラマは10か月をかけて放映してきたのだと思いました。

勝・西郷会談は慶応4年3月14日でしたが、その前、3月6日に新選組を中心とする甲陽鎮部隊と、中山道を進んできた板垣退助率いる新政府軍とが交戦した甲州勝沼の戦いがありました。「明治天皇紀」のこの時期の記事に近藤勇の名が出てきたり、「太政官日誌」にこの勝沼の戦いが記述されていたりします。新選組を追っていますと、新選組は文久3年の上京以来、何しろずっと戦い続けているので、勝沼の戦いも、まぁ、江戸へ帰ってきて、負け戦さだったなぁ、ぐらいの感覚なのですが、新政府軍(薩長軍ではなく)にしてみれば、これが初戦だったのです。だから、新政府の初勝利!で、勝沼の戦いが当時、クローズアップされたのだと、最近、知りました。

 東征軍参謀で、大村益次郎が登場しました。

「花神」を見ていた人には懐かしい人物です。大村は大阪で亡くなったこともあり、いくつか石碑が残されています。大村は京都で斬られて、大阪の病院に送られてきました。壊疽にかかり、足を切断しています。大村の希望で足は適塾での師匠、緒方洪庵の墓のすぐそばに葬られ、足塚が残されています。

 こちらは大阪市北区にある龍海寺の洪庵と夫人の墓です。

 中央区谷町4丁目にある国立病院の難波宮公園側にある大村終焉の地碑です。 大きな石碑で、さすが戦争中に建てられただけあります(大村は日本陸軍の祖と 言われました)。

 下部の石板には大阪の有名人と並んで、東條英機の名が彫られています。鳥井さんはサントリーの方で、先日、彼をモデルにしたドラマが放映されていました。

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