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ザ・戊辰研マガジン

2019年2月号 vol.16

村上殿の日々徒然

2019年01月31日 18:57 by murakamidono
2019年01月31日 18:57 by murakamidono

I ファンタジーな実話―とてつもなく大きいオニギリ

 私は、ある人を知っている。一目見て忘れることができない方だった。 怖い人ではないが、手などが大きく、とにかく忘れられない方だった。この人が新幹線に乗った。途中、若い女性が彼の隣に乗った。 れから間もなく、彼は何かを丸めた新聞紙を開きだした。 新聞紙を開いた。この世のもの思われない大きなオニギリが二つ出てきた。女性はびっくりし、大きな目でオニギリを見たと、そのとき、彼が「これひとつ いかがですか」と大きいおにぎりを女性に言った。 さて、この女性はおにぎりをいただいて食べたでしょうか。

II ファンタジ―物語ー蛇喰(じゃばみ)物語  戦後、私が小学低学年のころ、母と女川村(現関川村)を歩いていた。「あそこが蛇喰である」といった。母からその物語を聞いた。 「蛇の味噌つけを食べた人が大蛇になる」という物語であるが、この「人」の話を聞いた法師が驚いて、渡辺三左衛門へ駆けつけた。渡辺三左衛門の家は現在もある。

 この物語のシリーズの絵を描いたがスケールが大きい。多分、世界史上最も大きい蛇であろう。渋谷のハローインや青森のネブタと比較すると桁違いに大きいのである。 黒姫山の児雷也にも大蛇が出てくるが、蛇喰の蛇は、これよりはるかに大きい。 さらに驚いたのは、渡辺家の土蔵の数である。子供ながらに数えたが9個ある。 こでもけた違いに大きい話である。

 現在、この蛇が「たいしたもんじゃ」というお祭りになっている。数年前、村上市が関川村に合併を呼びかけたが、断られた。関川村には独自の伝説などがあるからだ。大したもんです。

III 故郷のファンタジー物語ーご婦人たちからの課題 故郷のご婦人たちは世界に誇れる文化を大成している。私も課題を課せられている。

1.繭から「よりをかけながら絹糸をつくる装置の作製」

  木製で、手動によるもの。これは非常に難しいです。多分、日本人でこれを考案した人はいないようですね。試作してみたが、より円滑に行くようにしなければなり   ません。

2.絹織機では、経糸を張るのが大変です。これは、経糸は、例えば「上下上下・・・・上下」の順になっていますが、「上上下上下・・・・上下下 の織機を   開発してくれないか」。とのこと。まず、卓上織物機を作り、現在、試作中です。

  経糸を張るのが、最も大変なのが伊勢神宮の天照大神に奉納する絹の布でしょう。神主が3日かかるそうです。

3.上記とは別件ですが、できれば「ふろ」を作ってみたいです。ただ、大きいので置く場所を考える必要があります。上から見ると卵型で、人が入れるものです。ただ、窯がないので、鋳造してもらう必要があります。窯と木製の間が水が漏れないようにしますが、ここが難関ですね。

IV 故郷のファンタジー物語ー三四郎物語  この話は実話であり、私の生家の近くの三四郎の家を作るときの話です。 三四郎の家は幕末ころ建てられ、巨大な「梁」があり、私がこれまで日本で見た家では最高峰と思います。

 数人の大工が三四郎の家を組み立てていた。下では多くの村人が見ている。 村人たち「おお。大きい梁だなぁ」 大工たち「よいしょ。よいしょ。ガンガンガン」 村人「あれっ。入らないなぁ」 大工たち「ガン、ガン、ガン」 村人「入らないなぁ。大工の間違いではないか」 それをじっと見ていた棟梁「俺に狂いはない」 大工たち「ガンガンガン」 村人「やっぱりだめだなぁ」 そのとき棟梁は予期しない行動に出た。 ・・・・・ 村人「あっ。はいった」 これは幕末から明治にかけての職人気質であり、私はシリーズの絵に描きました。 実に面白い物語ですが、途中、棟梁の行動を割愛しました。

V 故郷のファンタジ―物語  戊辰戦争から150年たちました。戊辰戦争のとき依田錬次郎という村上藩士が私の生家の隣の集落で切腹されました。故郷の集落から、村上のお城山に黒い煙が昇り、「村上藩は終わりだな」と故郷の農民が悲しみました。いよいよ村上藩士の末裔が皇后陛下になります。日本は天子の国です。誰が何と言おうと天皇皇后陛下にはかなわないのです。官軍の藩の末裔がどんなに吠えようと、それは「負け犬の遠吠え」に過ぎないのです。

 私は官軍についた藩主・藩士の末裔が移住したところを見て知っているが、その様は 大変気の毒なものです。戊辰戦争時、所有していた掛け軸などの文化品を全部売って、なくなりました。これは末裔の方に聞いた話ですが、生活苦が続いたようです。見られたものではありません。これ以上書かない方が良いと思います。

VI 十五夜の梨取り  十五夜には各家で梨やサツマイモなどをあげ、お月様を拝む。 この夜、子供たちが、よその家の梨取り行く。「取る」とは「盗む」ということ。まず、魚を釣る竿の先に釣り針を付けて、出格子にのぼり、その家の人がわからぬように釣ってとる。これは子供たちの遊びであり、誰も子供達をとがめない。「梨1個」のことで、がたがたいうものではない。こんな風習は戦後まであったが、今はあるかどうかは知らない。不思議な風習であるが「子供を大切にし、食べ物が豊富な故郷の風習」なのだろう。絵を描いたが面白い。世界に誇れる風習のようだ。

VII  小学校の柔道場  戦後、私が通った小学校の柔道場の話  柔道で投げられると「ボーン」と響く。母は「あの縁の下に大きいカメがある」という。「よし、それなら」ということで、私は、ある日、縁の下にもぐった。大きいカメがあった。縁の下は気持ちが悪いものです。その後、母から、いろいろ聞いたが、戦時中の村長さん・横山巌氏が柔道が好きで、加納治五郎の弟子だったらしい。治五郎は横山村長の故郷に来られ、村長と会われた。ところが、1980年代、ある村会議員が「この学校を壊し、鉄筋の建物を建てよう」と主張した。過去の歴史を知らない人だろう。新潟県でも最高に美しい学校がなくなった。故郷は文化遺産一つ失った。

 奈良県宇陀市の菟田野では、昔の小学校をそのまま残し、「きらら」という観光名所にしている。約800着のカエデの柄の着物を買って展示している。

VIII 故郷のファンタジー神様とたたり  戦後まで、集落内には小川が流れており、この川で洗濯や野菜洗いをしました。 小川(の神様)に「団子」をあげる風習がありました。しかし、こうした風習は、その後なくなり、水道になり、飲み水も農工具を洗う水も同じになりました。現在、水道が地方の負担となってきました。

 江戸時代の地図を見ると、川に土手がありません。戦後、「土手をつくれば安全だ」という社会風潮になりましたが、昔の人は「土手があるから危険だ」と考えたようです。さらに、戦後は「ダムを作れば洪水がなくなり安全だ」という風潮になりました。 しかし、「ダムや土手があるから危険だ」という見方もあり、現在、あちこちで災難がありますが、その原因は土手やダムに関係しているようです。

 昭和30年代ですが、きれいな川に庭のごみを捨てる人を見ました。「だいじょうぶかな」と思いました。「たたり」があるかどうか知りませんが、その後、その方の二人の子供に、その川で不幸なことが起こりました。「あっ」という間の出来事です。絵にも描けない恐ろしいことです。  上野には不忍池があり、大仏様が建っていました。不忍池や大仏様は村上藩主が作ったものです。大仏は頭だけ「西郷隆盛の銅像」の近くにあります。私は、上野の山は東京の鬼門であり、「たたりがなければよいが」と思っています。「現代人は、よく、こんなことをするなぁ」と思っています。  故郷のファンタジー神様とたたり  沢山の思い出がありますが、一応この辺で締めます。

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 戦後まで、集落内には小川が流れており、この川で洗濯や野菜洗いをしました。 小川(の神様)に「団子」をあげる風習がありました。しかし、こうした風習は、その後なくなり、水道になり、飲み水も農工具を洗う水も同じになりました。現在、水道が地方の負担となってきました。

 江戸時代の地図を見ると、川に土手がありません。戦後、「危険なところに、土手をつくれば安全だ」という社会風潮になりました。さらに、戦後は「ダムを作れば洪水がなくなり安全だ」という風潮になりました。しかし、現在、あちこちで災難がありますが、その原因は土手やダムに関係しているようです。  昭和30年代ですが、きれいな川に庭のごみを捨てる人を見ました。「だいじょうぶかな」と思いました。「たたり」があるかどうか知りませんが、その後、その方の二人の子供に、その川で不幸なことが起こりました。その川から、浮かんでこないのです。絵にも描けない恐ろしいことです。

 上野には不忍池があり、大仏様が建っていました。不忍池や大仏様は村上藩主が作ったものです。大仏は頭だけ「西郷隆盛の銅像」の近くにあります。私は、「現代人は、よく、こんなことをするなぁ」と思っています。

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