ザ・戊辰研マガジン

2018年08月号 Vol.10

戊辰戦争研究会アルバム(忠七桜)

2018年08月04日 11:45 by date


 平成29年4月に「二本松集会」が開催されました、ちょうど桜の季節でしたが二本松城は満開、でも三春町は七分咲きと同じ福島県中通りでも開花はまちまちでした。
二本松の霞城をはじめ二本松少年隊ゆかりの地や、福島県の歴史上の史跡などを研究会のメンバーと巡りました。福島県三春町の滝桜は全国的にも有名ですが、私ら戊辰戦争研究会のメンバーは三春町を巡ることに躊躇する人が多いのです。明治のご一新時の三春藩は、奥羽越列藩同盟を脱退して(裏切りとの説もあり)西軍についたのです。ご一新から150年過ぎた現代でも、会津の人は「三春から嫁をもらうな」と言い伝えられるほどその因縁は深いのです。
 私は三春の「滝桜」を見ずして自分の人生を終わらせてもいいと考えているほどです。
 でも「滝桜」は見ずしても、「忠七桜」は見ておかなくちゃいけないと、ここ数年肝に銘じていました。

「忠七桜」

 明治のご一新時に西軍(薩摩長州)についた三春藩は会津攻めの先鋒につきました、その中で三春藩の若者は西軍の荷物運びとして懲役されました。三春藩の忠七少年は西軍の食糧や武器・弾薬などを会津の戦場に運び、その会津で目を覆いたくなるような惨状を目の当たりにしました。忠七少年は三春に戻った後に自宅の山を「寿命山」と命名し桜の木を移植して整備し、子孫に「いつまでも桜を守れ」と言い残したといわれております。
 もちろんその「寿命山」は現存しており、その時分に移植した桜は今でも春になると見事な花が咲き誇ります。
「寿命山」や桜の木は私有地にありますが、桜の木のもとには忠七が建てた祠があり会津の人の霊を慰めています。
 桜の種類は「紅枝垂桜」で、樹齢は170年(160年説もあり)で、今年は171年に数えられているはずです(別説でも161年になります)。
三春の人が会津の霊を慰めるため、子々孫々言い伝えようと桜の木を残していることに、三春の人の会津に寄り添う心に救われたような気持がします。

平成29年4月撮影 記者 伊藤剛

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