ザ・戊辰研マガジン

2018年07月号 Vol.9

故郷の話

2018年06月28日 20:51 by murakamidono

故郷の観光ー木切り 

故郷の観光の一つとして「木切り」を考えている。「木切り」には手順があり、これをよく理解していないと「命を落とす」ことがある。体験が大切である。小さい木でも、切った直後にバウンドする場合がある。そのはずみで腹や胸を打ち、命を落とすことがある。私は「木切り」には慣れている。  木には枝が「ぼきっ」と瞬間に折れるものがある。多分、それを知らない剪定師が年間、相当、命を落としている。楠は瞬間に折れる木なので要注意。  戦後まで、大きい木を切る「木挽(こび)き」がいた。大きいノコギリで切る。

故郷の短歌ー不思議な世界   

私の故郷の飯沼肇さんは、大正7年の生まれである。昭和13年、軍に徴兵され、ノモンハン事件からシベリア抑留を経て、昭和24年帰還。11年間、軍関係に従事された。 子供の時から、古文書に囲まれ、『むらの昔ごと』という本を書いた。江戸時代の菅井真澄の本に匹敵すると言われている。  戦国時代、本庄繁長に飯沼という重臣がおられた。肇さんはその方の末裔である。 肇さんの奥様が歌人で、沢山の短歌を作っておられる。これは個人的な話であるが、本に書いてあるので問題ないと思う。奥様が作った短歌を紹介する。    

五十年異なる心許し合いしなやかに吾いぶせ家に老ゆ  

これは地元の文化祭の短歌部門で特選に選ばれた。「いぶせ」は「囲炉裏で火を焚き、煙で家の中がすすける」という意味である。意のままの吾が生活あり有難し夫黙々と農守りくれて 飯沼家では「本庄繁長公顕彰館」を開館しており、私設博物館である。本に記載されていることから、肇さんと私は親戚関係にあるようだ。「不思議な世の中」 近所の大場ツマさんの短歌。ツマさんは私がうぶ声をあげたときから、私を知っているそうだ。世の中には「私以上に私を知っている方」がいる。「不思議な世の中」。私が幼児の時「きゅうちゃん」と、ほぼ毎日声をかけてくれたツマさん。    

紫陽花の咲きて明るし庭模様一雨ごとにうなづく色に

島田志津さんの短歌    

忘れ行きし孫のサンダルつっかけて幼き頃の素足にかへる  

島田さん宅には沢山の「こけし」や油絵が飾られている。私設博物館。家が素晴らしい。「こけし」には俳人が作った俳句が書かれてある。志津さんは「こけし」に絵を描いている。「こけし」は東北から購入。志津さんのアイデア。素晴らしい「こけし館」。島田さんのお父さんから、私は「生き方」を学んだ。「不思議な世の中」。  私も短歌を作っており『早春歌』という短歌集にまとめた。幼馴染の少女達と野辺で遊んだ歌が最初。  

 早春の   野辺の花摘む   少女(おとめ)たち   

 おつむにさしあう    小さき手つき  一面に咲くレンゲソウ。

空高く雲雀が飛んでいる。トンビが時々やってくる。少女たちと仲良く遊んだので、何となく少女ぽい。小学低学年の世界はファンタジー。こんな体験したのが「不思議」。

故郷の健康人   

私が故郷で話す人は、大体90歳前後。親族に「90代半ばで農作業している人」「104歳で元気な人」がいる。健康の秘訣は分からない。  都会には「いろいろのものを食べると、ビタミンなどがとれるので健康に良い」という人がいる。農村には、これと逆に「いろいろのものを食べると、ガンになりやすい」という意見もある。  都会には「煙を吸うとガンになる」という意見がある。ところが、故郷では戦後まで、囲炉裏で木を燃やしたが、肺がんになった人を聞いたことがない。  都会には「焦げを食べるとガンになる」という意見がある。ところが故郷では、かまどで木を燃やし、その炭を粉にしてお茶のように飲んでいる人がいる。炭茶を飲むと「スッ」とするそうだ。私も薦められて飲んだが、格別な味はしなかった。  故郷の方々と話をしていて感じることは、戦前、軍隊生活を送った方に長寿者が多い。また、農村では「里芋はどうしたら美味しくできるか」などを考え、受験のような競争はない。  健康の秘訣は分からない。今度帰省したら、親族に聞いてみたい

 村上在郷気質ー梨   

私の母の生家の近くに、梨の大きい木がある。樹齢、400年から500年と言われている。この梨の木は、ある家の所有であるが、近所の子供や成人たちは梨を拾うて食べた。私も子供のころ食べた。現代の梨と違い、大きさは直径2㎝位で小さいが独特の味がする。  明治初頭、その木を面倒みていた方が「九郎」さんで、足の速い人だった。やがて徴兵制になり、九郎さんは仙台師団に入隊となった。明治29年頃と思われる。師団長は長州や薩摩の方である。九郎さんは「ばかばかしい」と思ったようで、脱走して仙台から走って故郷に逃げてきた。逃げて村に来たところを警官に見つかったが、また逃げた。当時の警官も彼の足にはかなわない。村人が彼をかくまったのだろうか、彼の墓がある。私は毎年、お盆に彼のお墓参りをした。当時、全国的に軍に心酔した人は多い。全国で脱走した人は九郎さん一人かもしれない。私は彼が脱走して走っている絵を描いた。  ある年、梨を拾いに成人の男衆も沢山ゆき、木の下を荒らしたそうだ。所有者が立札を立てた。翌日、所有者のおじいさんがそこへ行ってみると、もう一つの立札が立ってあった。それを読んで、所有者は、にこり笑ったようだ。何が書かれているか、詳細を私の絵に描く。この梨を今年は食べて見ようと思っている。想像であるが「本庄繁長公も食べた梨」と思うと、歴史を感じる梨でもある。  

九郎さんが亡くなり、その後、私の母が生まれた。明治少女の母は学校で軍歌を習った。私は当時の明治少女気質を母から聞いた。薩長が興した大日本帝国が滅亡することは、九郎さんや明治少女達が明治時代に予測していたのである。自給自足できる農民には官製情報に埋没しない人がいる。 II 村上在郷気質ーかまいたち  村上在郷だけではなく、新潟県には「かまいたち」という「妖怪」がいるらしい。この正体はいまだにわからない。誰も見たことがない。体の一部に、ある種の衝撃を与えると、深い傷がつく。私はこの傷を見たことがあるが、血は流れず痛くないそうだ。「ざっくりと切れる」というよりは「ぱっくりと深い傷ができるが、血が流れない」のである。私はこれを科学的に考えているが、いまだに明確でない。歴代の村人はこれを「かまいたちの仕業である」と考えてきた。架空の「妖怪」である。

 村上在郷気質ー切腹された村上藩士 

   戊辰戦争中、ある村上藩士が私の出身集落の隣の集落に参り、お寺の参道の入り口で切腹された。そこに墓碑があった。確か「依田」という苗字だったと記憶している。昨年、その参道へ行ってみると、墓碑がない。「どうしたのかな」と思っていたら、和尚さんが出てこられ聞いた。  「藩士のご子孫が、ここに墓碑があるのは可愛そうだ、ということで、墓碑をもって行かれました」とのこと。墓碑がどこへ行ったか分からないが、もしかすると村上城下町ではないかと思う。  依田藩士のルーツは分からないが、長野県や静岡県が考えられる。 上記の藩士と直接関係ないと思うが、静岡の依田から数名の工女が富岡製糸場へ行かれたようだ。その後、依田に製糸工場が建てられた。依田工女の影響はあると思うので、私は依田工女に関する絵を2枚描いた。このようなわけで、私は「依田」に、ある種の未練がある。

村上在郷気質ー戦いを好まず

 村上には「戦いを好まない」風土がある。こうした風土は軍人に出る。軍人は銃を持つが、故郷には、こうした行為を嫌う風土があるようだ。私は幼少の時、家での「勝ち負け」の勝負事は、「御法度」だった。こうした風土は家族によって多少の違いはあるだろうが。  私は旧軍兵士多くの人と話す機会があった。なかには、「村上在郷軍人は戦うことを嫌いだった」と言う人もいた。「この話は本当だな」と思った。  故郷農村の歴史は古いが「戦いがあった」という話は口承として伝わっていない。 ただ「怖かったのは蒙古襲来である」とう口承がある。村は大和国時代頃に開拓されたようだが、蝦夷と大きな戦いがあった口承はない。村の神様は「こしょうさま」であるが、郷土史家によると、蝦夷の人たちと仲良く暮らしたらしい。 V 村上在郷気質ー首を斬られた神様   私の故郷の鮭は、平安の昔から皇室の所有だった。ところが、鮭泥棒が出没したので、取り締まり役が京都からやってきた。身分の非常に高い人である。この人は神とあがめられ、近くの集落に神社となっている。私は昨年行ってみた。確かにそうである。  ところが、この人が「取り締まった川」がある集落へ、昨年、私は行ってみた。この取り締まりは、だんだん悪くなり、ついに集落民に首を斬られたらしい。頭が川の渦に流れるが、笑っていたそう。気味が悪い。  という話が故郷に口承されているが、私は「農民が人の首を斬れるのか」と、不思議に思っていた。近くの「博学者」が私に教えてくれた。「いやいや、首を斬ったのは農民ではないよ」とのこと。「秋田から武将がやってきて首をはねたのだ」ということだった。  一方では「神社に祀られている人」が、一方では「ろくでもない奴」と思われている。鮭を欲しさに、よそ者が互いに争っているだけのようだが、故郷には、訳の分からない話がある。

 村上在郷気質ー会津との接点  

 私の祖父は明治20年ころ、山奥の「奥三面(おくみおもて)」へ行ったが、帰りに道に迷った。どうにかして、出たところが会津だった。会津で「和算」をやっている方が世話して下さり、和算を勉強してきた。和算の先生は相当の知識人と思う。  祖父の妻の「いとこ」に当たる人が宮大工で、会津に長期出稼ぎに行った。会津に「やま神様」があるそうで、そこの分祀と思われる「やま神様」を私の生家の近くに建てた。小さい神社である。  「やま神様」は「やま餅」が好きらしい。「やま餅」は、もち米で炊いたご飯を握りつぶし、あらかじめクルミをすって煮た鍋に入れる。私も作るが、栄養がたっぷりありそう。  上記の宮大工に娘さんがおり、この娘の子供が本を著作している。宮大工と祖父の妻(私の祖母)はルーツをたどると、同じ「家」にたどりつく。私は帰省すると、仏壇の近くに寝るが、今までのところ、残念ながら、先祖の霊は現れていない。できれば祖母と話したいのだが。

 村上在郷気質ー北朝鮮問題

 北朝鮮が話題になっている。私は政治家ではないが、「相互に利する」ことを提言するのもよさそう。「相互に利する事」には、いろいろあるが、特に奈良時代、朝鮮と日本には密な関係があった。「観光になるような歴史的事実」は「日本ならでは」の提案であり、米国などにはできない。政策によって、世界がこれに興味を持つようにすれば、両国に相当の収益が見込めそう。飛鳥の古墳壁画に着物を着た女性が描かれているが、あの衣装は朝鮮から来たものだそう。  私は故郷で、インバウンド観光につながることを調べ、提案していますが、これらは、他の人たちに利することである。

 村上在郷気質ー奥三面集落 

「奥三面(おくみおもて)」という集落は山間部にあったが、昭和30年代に始まったダム建設により、現在、湖底に眠っている。戦後、この集落の人々が私の生家に泊りがけで来た。  その後、奥三面の方々は、村上駅の近くに移動された。昔の集落の方々と私の祖父、父、兄とはずいぶん交流があった。  最近、私は村上駅の近くの「奥三面」へ行き、あるお婆さんと会い、本当の心情を聞くことができた。「昔の集落から出たくなかった」という話である。ただ、当時の県政にはどいうすることもできなかったようである。ダムはいつかは壊れる時がくる。ダム建設時から、村人が恐れたのが「ダムの崩壊」。作ったものは、いつか必ず壊すときが来る。

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