ザ・戊辰研マガジン

2018年06月号 vol.8

会員のブログより、「彰義隊を歩く」

2018年06月05日 18:40 by date

 今回紹介するブログは、研究会の会員でブログネームを「剛丸先輩」といいます。記事は平成平成23年10月に開催された「東京史跡巡行・彰義隊を歩く」の一部始終です。ですがこのブログ名が「宴会大好き日記」なので当然に史跡巡行後の懇親会の模様が中心です。会員の皆様は、昔こんな行事があったんだと思ってくださればよろしいし、戊辰戦争研究会を知らない方はこんな行事を開いているんだと思っていただいて結構です。何しろもう7年も昔のことになります。写真が昔であることを物語っております、なんと携帯(ガラケー)で写真を撮っています。今はデジカメやスマホ全盛の時代です、ガラケーでの写真なんて古さを感じさせます。

 昨日10月22日(土)は私が参加する戊辰戦争研究会主催の「東京史跡巡行」の日でした。 天気予報では一日中雨模様ということでしたが、午前中だけ雨で午後は雨が上がり最適の巡行日になりました。  今回の史跡巡行のテーマは「彰義隊」です。 彰義隊は幕末時に長州・薩摩の賊徒から江戸を守り、治安維持に努め寛永寺に蟄居した徳川慶喜と輪王寺宮を守りましたが、1868年5月15日の上野戦争で敗れ、その後北関東や会津で戦い、ついには函館戦争まで転戦しました。官賊派の作家たちは、上野戦争の総大将・大村益次郎を一日で戦争を終わらせたことをたたえていましたが、実際は、3月に奥羽越列藩同盟が結成され、5月の上野戦争が籠城戦になり長期化すれば、北関東・東北からの援軍により戦争が長期化して内戦化するのを防ぐために、上野の山の北側(谷中・下谷)を空けておき、反対側の黒門側から攻めてゆき上野の山を押し出して、占拠することで勝利としたようです、そのあとは押し出された彰義隊を探し出し処刑していきました。処刑された彰義隊の遺体は放置されましたが、円通寺の住職と三河屋幸四郎らの労により円通寺に埋葬しました。  今回はその関係先の史跡巡行です。 おもな訪問先です、  1、不忍池  2、弁天堂 3、清水坂 4、上野清水寺 5、上野大仏 6、上野寛永寺 7、谷中墓地(徳川慶喜・野田尋通(のだひろみち) 8、谷中ぎんざ商店街(夕焼けだんだん) 9、日暮里・羽二重団子 10、小塚原・回向院 11、円通寺 12、日本橋  以上を午前11時から午後5時までかけて廻りました。 そして、午後5時からは八重洲「温野菜」というしゃぶしゃぶ屋で懇親会です。総勢14名です。
  
 谷中墓地にある第15代将軍・徳川慶喜の墓地です、施錠されており中には入れません。 真言宗の墓地にありながら神宗の墓です、かすかに形が見えます。  ちなみに今日訪れた中央区「日本橋」に掲げられている「日本橋」という欄干烏帽子の文字は徳川慶喜が書いています。
 
円通寺にある彰義隊の墓です、普段は施錠されており立ち入れませんが、当日は特別な許可を得て立ち入らせていただき、焼香もさせていただきました。  円通寺には「黒門」も保存設置されています、なにしろ150年たっています、以前はかなり傷んでいたようなんですが放火による火災の後に修復されきれいになったそうです。 「黒門」の前では皆で記念写真を撮りました、ここだけは私たちはミーハーです。
 

史跡巡行が予定通りに終了して、皆で東京駅・八重洲のしゃぶしゃぶ屋さんに集まりました。呑み放題・食べ放題の宴会が始まりました。 せっかくの呑み放題ですが、アルコールが飲めなくてでウーロン茶を注文する人が5人ほどいました。 私はもったいないと思いますが、こればかりはどうしようもありません。だったら個別注文にして見ればと思いますが、呑み放題の醍醐味が失われます。こういう宴会は太っ腹が大切です。
 
 つみれの投入をお願いした女性です、本日新幹線でわざわざ岡山県から上京しました、ありがたいです。 でも、つみれを入れるために上京したわけではありません、研究会の事務局長さんです。  5時から開始した研究会の懇親会は7時に終了しました、その後八重洲の地下街のコーヒー屋さんで2次会を開き、「われら義に生きる」彰義隊を忍んで8時には解散してそれぞれ帰路につきました。

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