ザ・戊辰研マガジン

2018年06月号 vol.8

みちこの幕末ちょっと寄り道!

2018年05月29日 21:02 by minnycat

「和宮道中御菓子」

岐阜の中津川の知人から和菓子を頂戴しました。 「和宮道中御菓子」というのです。あまりに美味しかったものですから 取り寄せようと調べましたら、それは100個限定の品でした。以下、ご紹介致します。

皇女和宮が生まれた5月10日に合わせて、限定販売される「和宮道中御菓子」=中津川市栄町、にぎわい特産館  幕末に京から江戸まで中山道を通って徳川家に嫁いだ皇女和宮が生まれた5月10日に合わせ、中津川観光協会は9、10日、和宮が道中で食べたとされる和菓子を再現した「和宮道中御菓子」を限定販売する。中津川菓子組合加盟の和菓子店が交代で手掛ける毎年恒例の和菓子で、中津川市内の中津川、落合、馬籠宿の宿場名を冠した6品目を箱詰めにした。  当時の史料を参考にして再現し、2003年から毎年5月10日と降嫁行列で中津川宿に泊まった10月29日に合わせて年2回販売。当時は日持ちのする干菓子の落雁が中心だったが、餅やあんなどでアレンジした。  今回は、市内の信玄堂、川上屋、しん、一休、七福、新杵堂の6店が担当。春の販売には、白あんをピンクの餅で包んで八重桜をイメージした和菓子が限定で入る。  1箱1150円(税込み)で、限定100箱。同市のJR中津川駅前のにぎわい特産館で両日午前8時30分から販売する。50箱まで予約を受け付ける。 菓子は「月影」「大村雨」「延齢」「八重桜」「松の露」「紅葉賀」の6品目詰め合わせ。100箱がなくなり次第に終了です。☆ 販売日 5月10日 8時30分より販売開始 ☆ 6個入1箱 1150円 (売切り次第終了)  問い合わせ・予約は同協会、電話0573(62)2277。岐阜新聞Web  「和宮道中御菓子」は、2001年に大阪市の菓子店で発見された古文書「皇女和宮様御婚礼道中菓子製造の儀」に記録された32品の中から、中津川菓子組合が24品を復元した。組合加盟の市内の和菓子店6店舗では、再現した6品を詰め合わせにして03年から販売を始めた。これまで和宮の誕生日の「5月10日」と中津川宿に泊まった「10月29日」の年2回販売してきたが、今年は5月9日も販売する。  和宮は中津川市の中津川宿、落合宿、馬籠宿の3宿場を通過し、休息時に御菓子を食べたと伝わる。当時は落雁(らくがん)だったが、中津川菓子組合は小豆や栗、こしあんなどを使って現代風の生菓子にした。

方谷ゆかり「御茶屋」落成 高梁・備中松山藩主の別邸 高梁市奥万田町に残る備中松山藩主の別邸「旧備中松山藩御茶屋」の整備工事が終わり、9日、落成式が行われた。幕末に同藩の財政再建を断行した儒学者・山田方谷ゆかりの建物の“復活”を関係者が祝った。6代藩主板倉勝職(かつつね)が江戸後期に築造。方谷が宿舎として利用したほか、方谷を慕って来た長岡藩士の河井継之助や漢学者・三島中洲らとの交流の場であり、作家の故司馬遼太郎が継之助の生涯を描いた小説「峠」にも登場する。近年、空き家状態で老朽化が進んでいたため、市が買い取って整備した。式には市や高梁方谷会の関係者、方谷の子孫ら約20人が出席。近藤隆則市長が「全国に誇るべき施設として後世に伝える必要がある。(方谷の)NHK大河ドラマ化に向けても大きな弾みとなる」とあいさつ。テープカットを行った後、高梁中央保育園の5歳児10人が御茶屋の広縁に座って論語を素読した。出席者は茶室や和室など施設内を見て回ったり、茶の接待を受けていた。

ペリー提督・菓子好きで相撲に興味の「穏やかな男」 幕末に「黒船」と呼ばれた米艦隊を率いて来航したペリー提督らの様子を記した文書が、広島県福山市の県立歴史博物館で見つかった。幕末から明治期の福山藩(広島県)の儒学者、江木鰐水(がくすい)(1810~81)の手紙を写したもので、ペリーの穏やかな物腰や乗組員がおどけて踊る様子などを描写。専門家は「ペリーの性格や一行の普段の様子を伝える文書は珍しい」としている。

 福山市の旧家・窪田家から同博物館に寄託されていた文書で、50ページほどのうち16ページにペリーらに関する記載があった。江木が友人の儒学者に送った手紙を、その弟子で医師の窪田次郎が書き写し、窪田家に残されたらしい。江木の字体とは違っていた。  1854(嘉永7)年2月13日、ペリーが2度目に来航した際、軍学が専門の江木は一行の応接係だった奉行の家臣という名目で、同26日、横浜の応接所で一行と面会した。江戸幕府老中で福山藩主の阿部正弘の命を受け、応接係に随行したとみられる。  江木は「彼理(ペリー)ハ深沈トシテ 二度程笑ヒテ黙々トシテ居タリ 音色モ温ナリ」と、ペリーが物静かで、態度も穏やかだったと記述。副官(参謀長)のアダムスについては「軽率ニ見エ終始笑ヒテ」と記し、ペリーとは逆に良くない印象だったとみられる。また、ペリーらに日本食を出したところ、吸い物は好まなかったが、塩をかけたカキや卵、菓子を好み、余興の力士による相撲を珍しがったという。  同29日に江木らは、旗艦ポーハタン号に乗船。酒食をもてなされたが、あまり口に合わず、乗組員が顔に墨を塗って踊るのを見せられ「拙キ事ナリ」と酷評した。しかし、そうした娯楽の拙さは、軍備に力を入れているからではないかと米国への恐れも述べている。 明海大学の岩下哲典教授(幕末維新史)は「ペリー艦隊に関する文書は鉄砲や装備、艦艇に関する記述がほとんどで、一行の人間的側面を描いたものは大変珍しい」と話している。文書は8月2日から同博物館で公開される。毎日新聞2013年 7月10日(水)2時31分配信

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