ザ・戊辰研マガジン

2018年06月号 vol.8

おいしい東北の日本酒

2018年06月05日 18:48 by date

 

 私は40年程前の学生時代を仙台市で過ごした。学業の傍らアルバイトに精を出してはその給与で飲み屋に通った。私は主に仙台市の一番町という繁華街から西に平行に走る飲食店が密集している稲荷小路あたりに出没した。学生の身分であるから私が通う店は安くて気軽なお店が多かった。
 そんな稲荷小路の一角に洒落た一軒家の飲み屋があった、飲み屋というより現代風に言えば料亭に近いかもしれない。白木戸の前には一本の樹があり、明るく照らされた玄関は学生の私を拒んでもいるように見えた。
 「あんなきれいな店で呑みたい」、私はどう見間違えたのかそう思うようになった。
 その店の名前は「桃川」といった。
 その後にバイト代が入った時に意を決して友人らと「桃川」に入った。着物姿の女将さんやネクタイとスーツのサラリーマンが大勢いて、私は気後れしながら酒を飲んだ。
私はいずれこのような「桃川」のようなお店でネクタイを締めて堂々と飲めるようになりたいと思った。その時の私のいでたちは長髪にジーパン・サンダル姿であった。
 それから程なく私は大学を卒業して、ネクタイを締めスリーピースに身を固めるサラリーマンになった。
 私は「桃川」で堂々と臆することなく呑める憧れのサラリーマンになったと思った。

 しかしそれでもサラリーマンになった私の行き先は、やっぱり駅前や商店街の中の飲み屋だった。少々暗くて乱雑であっても、おいしいお酒と気の置けない同僚たちと飲む居酒屋が私の定番席となった。
 「桃川」という憧れの飲み屋さん(料亭)は、今でも輝いて見える極上の居酒屋である。

 桃川株式会社
   青森県上北郡おいらせ町上明堂112
   創業 明治22年(1889年)

「桃川」の発祥は、1600年代との記録があり1824年に隣の五戸村での酒造りの記録もある。その当時は農家でも「どぶろく造り」が盛んであり、どのような変換があってもおかしくない。
 そして明治22年(1889年)に近江商人の流れをくむ者が、町村制度が始まって百石村となった地で酒造を開始した。昭和19年には当地の13の酒造所を統合して二北酒造株式会社を設立し、現在の桃川酒造の楚となった。
 百石村を流れる川(奥入瀬川)のなまえである「百」を桃と変えて「桃川」と名付けられた。それが日本酒「桃川」となった。決して「ピンクリバー」ではない。
 清酒「桃川」は数々の審査会・コンクールで評価され、青森県を代表する日本酒となった(諸説あり)。
平成8年にはアメリカ・オレゴン州に工場を建て、世界に飛び立っている。

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