ザ・戊辰研マガジン

Vol.7

幕末人物終焉の地(6-1)井伊直弼

2018年05月04日 12:20 by norippe

 国会議事堂からほど近く、警視庁や法務省が立ち並ぶその真ん前の皇居外苑に桜田門がある。日本の歴史を大きく揺るがした暗殺事件がこの場所で起きたのだ。
教科書にも載っていて、誰もが知っているこの大事件、あえてここで取り上げたいと思ったのは、暗殺された井伊直弼という人物をもっと掘り下げて調べてみたいと思ったからである。はたして直弼は「偉人」なのか「国賊」なのか。井伊直弼の先祖である井伊直政は「井伊の赤鬼」と呼ばれて恐れられたが、これは関ヶ原の戦いで勇猛果敢に戦ったその勇ましさが鬼として恐れられたのだ。しかし井伊直弼の赤鬼は、これとは違った鬼畜のような鬼として恐れられた。
書くと長くなるので、ここでは数回に分けて記事にしたいと思う。
まずはこの事件の顛末からはじめることにする。


江戸城桜田門

井伊直弼

 安政7年3月3日、もうそろそろ桜の話も聞かれようかといったこの日、季節外れの雪が舞い江戸は雪化粧と化していた。そんな中、幕府のトップとして剛腕を振るっていた大老の井伊直弼は、駕籠に乗って外桜田の藩邸を出て江戸城に向かったのである。この日は雛祭りのため、在府の諸侯は祝賀へ総登城することになっていて、登城していく大名行列を見物するため沿道には町民らが立っていた。

 小雨混じりの雪の降る中を、尾張藩の行列が見物人の前を通り過ぎた。そして午前9時過ぎ、今度は60名あまりの供を連ねた彦根藩士の行列が桜田門外にさしかかったところで、突然、水戸藩の脱藩浪士17名と薩摩藩士1名の合計18名からなる賊に襲撃を受けたのである。

 襲撃者たちはまず駕籠を銃で狙撃し、この銃弾が直弼の腰に命中した。腰を撃たれた直弼は身動きがとれなくなってしまった。そして浪士らが行列に斬り込んで来たのだが、この時の家臣たちは襲撃を予想していなかったので、驚くと同時にその大半は逃げ散ってしまったのだ。残った数少ない家臣たちは浪士を迎え討とうとするが、この日は雪が降っていたため、みな刀の柄が濡れないようにと袋をかぶせていて、すぐには刀を抜くことが出来なかったのだ。そのため対応が遅れ、浪士たちの思うままに斬り立てられてしまうのである。それでも二刀流の剣豪・永田太郎兵衛が浪士に重傷を負わせるなどして抵抗したが、多勢に無勢、やがて永田太郎兵衛も戦闘不能になってしまうのだ。家臣たちは直弼の身を守り切ることが出来ず、駕籠に刀を突き立てられた上で直弼は引きずり出され、首を斬り取られてしまったのだ。


井伊直弼暗殺事件現場の様子

 間もなく彦根藩邸に直弼が襲撃されたという情報が伝わり、すぐに救援の人員が差し向けられるが、到着したのは既に直弼が討たれた後であり、現場には首のない遺体が横たわっているだけだった。彦根藩士たちは直弼や討ち死にした家臣たちの遺体を収容し、血痕の残る雪までも回収し、事件の痕跡を消してしまおうと躍起になったのだ。当主が襲撃されて一方的に討たれるのは、武家にとっては大きな失態であり、これを隠蔽して体裁を作る必要があったからである。

 直弼の首は薩摩浪士の有村次左衛門の手によって運ばれて行ったが、有村は重傷を負っていたため、逃走の後に若年寄の遠藤胤統の屋敷前で自害して果て、首はその門の前に放置された状態になっていた。直弼の首は遠藤家に収容された。これを知った井伊家は使者を送って直弼の首の引き渡しを要請したが、遠藤家は幕府の検視が行われなければ引き渡せないと言って断ったのだ。最終的には井伊家と遠藤家、幕府の三者で協議が行われ、討ち死にした家来の首と偽って直弼の首を返してもらい、遺体と縫い合わせた上で、表向きは「直弼は負傷して自宅療養中である」と幕府に届け出たのである。幕府からすれば、大老の地位にあるものが白昼堂々と討たれるなどあってはならない事態であり、この隠蔽工作に同調したのだ。
 また、井伊直弼はこの段階で井伊家の次の世継を決めておらず、このままでは井伊家は取り潰しになってしまうこともあり、老中の安藤信正を含む幕閣4名は会議を開き、幕府としてもこの苦肉の策をとったのである。直弼は急病にかかり、闘病後に死去したことになっており、実際には3月3日が死亡日なのだが、記録上は3月28日が直弼の命日となっている。その3月28日までの間に、直弼の子・直憲が井伊家を相続をする旨を幕府に届け、井伊家が取り潰しされる事なく存続が成立したのである。
 襲撃した脱藩浪士たちは、ほとんどが重傷を追って自刃するか捕縛されて処刑されており、明治まで生き残ったのはわずか2名ほどであった。
彦根藩側も、後に直弼を守らずに逃げてしまった藩士たちを処刑、戦って傷を負った藩士達は切腹を命ぜられ、この事件に関わった人間はほとんどが死亡しているのだ。
 以上が幕末最大の暗殺事件「桜田門外の変」である。

 なぜこんなに重大な暗殺事件が起きたのか。大老の井伊直弼がなぜ命を狙われたのか。次回は直弼の生誕から順にその生きざまを追ってみることにする。

記者:関根

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