ザ・戊辰研マガジン

Vol.7

新島襄が訪ねようとした磐城の閼伽井嶽薬師堂

2018年05月04日 12:21 by norippe

 新島襄がいわきに滞在したという記事は以前Facebookに投稿したので、知っている方は多いと思うが、その中で、新島は何故、いわきの閼伽井嶽(あかいだけ)を訪ねようとしたのか?という事を考え、その辺のところを探ってみることにした。


新島襄肖像画(同志社大学所蔵資料)


新島襄「函館紀行」より(同志社社史資料センター所蔵資料)

 1864年3月28日、函館からアメリカに向け日本脱出を企てた新島襄は、東京の品川から備中松山藩所有の快風丸に乗り込み函館に向かった。函館に行く途中、快風丸は磐前郡中之作(現いわき市中之作)の港に立ち寄ったのだ。これは新島襄の都合ではなく、船頭の勝手な都合で船を一週間ほど停泊されてしまったのだ。
船を降りた新島襄はこの中之作港を見物して仙台屋という宿に泊まった。翌日、安藤対馬守信正の居城である磐城平城と、お城の一里先にある閼伽井嶽という名山を見学しようと出かけたのであった。
 磐城平の城下を越え、閼伽井嶽の麓まで行ったのだが、突然の烈しい風と雷雨に見舞われ、閼伽井嶽は断念せざるを得なくなり、やむなく磐城平の城下町まで引き返すこととなったのだ。そして夕刻、平に戻り十一屋清蔵という旅宿に宿泊するのである。『新島襄自伝より』
この十一屋の宿というのは、今のいわき駅前の三町目2番地にあり、駅前ラトブの南隣に位置する。一角には東邦銀行いわき営業部がある。今はどこを探してもこの十一屋といった旅館はない。


いわきの現在の地図

 閼伽井嶽は標高605メートル、霊験あらたかな薬師如来を本尊とする寺があるが、それが血気盛んな21歳の青年、新島を強く惹きつけ、山にいざなったとは思えない。この山の何が、新島をして「名山」といわしめ、新島を強く惹きつけたのだろうか?


アメリカに旅立った頃の新島襄

 実は、閼伽井嶽では毎晩、龍燈という怪奇な現象が発生していたのだ。龍燈というのは閼伽井嶽の東、四倉沖の太平洋上に出現した明かりが夏井川を遡り、山を駆け上り、閼伽井嶽に達するという現象があるのだ。そして、この現象は出版物にも紹介され、広く知られ、多くの見物客が訪れていたのだ。


閼伽井嶽常福密寺全図


上記図の龍燈文の拡大図

 磐城平藩の南隣り、水戸藩の地理学者、長久保赤水は龍燈の様子を『東奥紀行』寛政4(1792)年刊)に次のように記している。

余、嘗親観之。初昏戴星時、四倉海上、火光浮出、泝竈川、及渓水、至此山ノ麓。飛懸大杉梢、又、飛入森中、不見、又、續来者亦然。自海至杉、火点累累相追、自昏至暁、不知其数幾許。凡、月夜則光微、暗夜則如蛍、域如炬。蓋、陰火也。但、此火、坐此山ノ岬燕石ノ上而観之、従他處観之、無一点光影、亦奇也。

 また、磐城平藩の儒者、鍋田三善も「陸奥磐城四郡海陸路程名勝土宜神社佛宇略記」(文政11(1826)年刊)に次のように書いている。

毎夜、陰火生四倉海、大如蛍火、點々累々、乍明乍滅、沂夏井川、達于嶽上、掛于杉梢、曰龍燈杉。凡、月夜則火光為之処奪、暗夜則明朗、此火唯嶽上観之、自佗望之無一點光影、亦奇也。

 さらに、「利根川図志」の著者、赤松宗旦は「笏記」(安政3 (1856)年)に次のように記している。

今日、岡野氏話、奧刕岩城郡上小川村の内、字遠山と云御林江出役之節、同国同郡アカ井ダケの薬師に上る龍燈を見に行たる事、天保七申年五月也。上小川より壱里半斗有、寺ハ常福寺真言宗。此所より五里斗東の海より出て、夏井川を伝ふて、薬師まで来ると也。多少は有ど毎夜上らぬ事なし、二つづゝ并びて上る。外にては見えず、薬師堂の側に吾妻屋有て拝見す、是を見んが為に通夜の人多し、寺に泊すと也。

 宗旦の知人、岡野治郎市は天保7 (1836)年5月、閼伽井嶽に龍燈を見に行ったと書かれている。龍燈は毎晩、現われ、二つの明かりが並んでのぼってくる。薬師堂の側には、あずま屋があって、見物人たちは一晩中、そこで龍燈を見たとも書かれている。これらのうち、赤松宗旦の「笏記」は刊行されていないので、新島が読んだ可能性は極めて低いと思われる。新島は長久保赤水の「東奥紀行」か、鍋田三善の「陸奥磐城四郡海陸路程名勝土宜神社佛宇略記」のいずれか、もしくは双方を読み、閼伽井嶽の龍燈のことを知り、それに強い興味を抱き、いわきに行ったら、是非とも閼伽井嶽に登り、自らの目で龍燈を見てやろうと考えていたのではないかと思われる。しかし、天候に恵まれず、新島は閼伽井嶽の麓まで行ったのだが、そこで断念せざるを得なかったのだ。
(新島襄が見た「いわき」その一より参照)


常福寺

 日本各地に龍燈が伝承される地があり、この磐城国(現・福島県)も出没地として知られている。磐城国の閼伽井岳山頂の閼伽井嶽薬師(常福寺)から東を見ると、4里から5里(約16から20キロメートル)の彼方に海が見え、日暮れの頃、海上の高さ約1丈(約3メートル)の空中に提灯か花火の玉のような赤い怪火の出没する様子がよく見えるという。毎晩7、8個現れるが、必ず2個ずつ対になって現れ、1個目の龍燈が現れて3、4町(約327から436メートル)ほど宙を漂った後、2個目の龍燈が現れ、1個目の軌跡を沿って宙を漂うという。
こんな伝説がある。昔、赤井村の若者が、村の娘と結婚したくて、薬師如来に願い出た。しかしその若者は龍の化身だったのだ。それを知っていた薬師如来は、結婚を許さなかった。仕方なく若者は、娘を奪って竜宮城へ連れていってしまったのだ。竜宮城のお姫様となった娘だったが、身ごもると難産で苦しみ、龍が薬師如来に救いを求めると、薬師如来は見るに見かねて安産を叶えてくれたのだ。龍はお礼に、毎晩、「龍燈」を薬師如来に捧げた。その時の龍燈は、四倉の仁井田浦から、常福寺に達すると、この杉の側で一段と輝きを増し本堂に入って行ったと言われている。


龍燈杉

(記者:関根)

 

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