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ザ・戊辰研マガジン

Vol.7

コーヒーブレイク「種々の小さな話」

2018年05月08日 18:45 by kohkawa3
2018年05月08日 18:45 by kohkawa3

その八 七不思議の寺

 栃木県栃木市郊外に太平山(おおひらさん)という標高400メートルばかりの山がある。この山のふもとに「大中寺」という曹洞宗の寺がある。太平山のふところに抱かれたような小さな寺である。太平山は桜やアジサイ、もみじの名所として賑わう観光地だが、大中寺は観光コースでありながら、地味な存在で、いつも静かなたたずまいを見せている。
 しかし、私が子供の頃は大中寺も賑わっていた。その頃、太平山は周辺市町村の小学校の遠足の定番で、大中寺も七不思議の寺として遠足には欠かせない存在だった。
 油坂、馬首の井戸、開かずの雪隠、枕返しの間、根なし藤、不断のかまど、東山の二つ拍子木。七不思議は、どれも恐ろしい話で、夜思い出すと一人ではトイレ、いや便所に行けなくなる。ポットン便所の時代である。白い便器の奥のまあるい闇のなかから、白い手がヌウと出て、尻をスウとなでるのである。水洗トイレでは味わえない恐怖である。
 大中寺の山門をくぐると、正面の本堂の前に見上げるほどの苔むした石段がある。「油坂」と呼ばれるこの石段は、太い竹が横に渡してあり、立ち入れないようになっている。
 昔、勉強熱心な学問僧がいて、夜も勉強したいと油を盗んで書物を読んでいた。ある日、油を持って本堂への石段を登ろうとして、こぼした油に滑り石段から落ちて死んでしまった。それより、この石段を登ろうとする人には不吉なことが起こる。
 油坂を迂回して本堂に向かう坂の途中に粗末な小屋と小さな井戸がある。粗末な小屋は「開かずの雪隠」で、入口は板で打ちつけられている。小さな井戸は「馬首の井戸」である。
 戦国時代、近くで戦乱があり大中寺に逃げ込んだ武将があった。大中寺の住職は武将をかくまうことをせず、武将は腹を切って死んだ。その際、愛馬の首を切って傍らの井戸に投げ込んだ。その「馬首の井戸」からは馬のいななきが聞こえたという。
 この武将の妻は夫を案じて大中寺に来たが、事情を知って、雪隠に籠もり自害した。それ以降、この雪隠は開けられたことがないという。
 開かずの雪隠の前を通り、本堂に出ると「不断のかまど」がある。何人もの僧が修行する寺の厨房には大きなお釜がある。ちょいとサボろうと思った修行僧が釜に隠れてひと寝入り。それとも知らず寺男がかまどに火を付けたので、修行僧が焼け死んだ。それ以来、このような間違いがないように、かまどに火を絶やさない。「不断のかまど」の話には、勉強をサボるとろくなことがないぞ、という教訓がついて回る。以下省略。
 実は、七不思議は明治時代に大中寺に気の利いた住職がいて、寺起こしのためにこしらえたということらしい。そう言ってしまうと身も蓋もないが。
 最近になって、ひょんな所で大中寺に再会した。
 昨年の秋に、都内をぶらつきながら泉岳寺に立ち寄った。境内の縁起を読んでいると、その中に大中寺が出てきたのである。以下のようであった。
 「江戸時代当寺は曹洞宗の江戸三ケ寺の一つとして、大僧録たる関三刹(埼玉県龍隠寺・千葉県総寧寺・栃木県大中寺)の下、特に本寺大中寺の下で触頭として曹洞宗の行政面の一翼を担った。」
 触頭とは、江戸時代、寺院・神社のなかから選定され、寺社奉行から出る命令の伝達や、寺社から出る訴訟の取り次ぎにあたった神社・寺院のこと、と辞書にあった。
 あの泉岳寺が大中寺の下で重要な役割を担っていたのである。
 大中寺といえば、遠足の七不思議とトイレの恐怖しか思い浮かばない。今度行くときには襟を正して行こうと思う。

その九 警備員のつぶやき(3)「駅前捕物帳」

 職場の前の道路をはさんだ向かい側にドラッグストアがある。人通りの多い舗道に面して、間口5間ほどの店頭にあふれそうなほど商品を陳列している。
 時々、この周辺で捕り物が行われる。
 ドラッグストアの前の舗道は、たぶん、このあたりで最も人通りが多い場所である。
 ある日、剣道や柔道の試合で耳にするような「ヤアッ!」というするどい声があがり、体格の良い背広の男が、若い男の背後からその手首をつかんで、高々と持ち上げた。と思った瞬間、周辺の男女5~6人が、その二人をサッと取り囲んだ。人ゴミの中から「カクホ」という声も聞えた。スリの現行犯逮捕である。
 数人の刑事にとり囲まれた中での犯行だった。いわゆるおとり捜査か?と思うのはサスペンスドラマの見過ぎだろうか。
 犯人は近くにあった自動販売機を背にして立たされ、刑事に取り囲まれたまま取り調べを受けていたが、間もなく到着したパトカーに乗せられて去って行った。
 別の日、中年の男がドラッグストアから走り出てきた。目の前の道路をこちらに向かって走ってきて、幅3メートルばかりのガラスドアの視界から消えた。そのうしろを白い上着を着た若い薬剤師の男が追ってきて、その若い男も視界から消えた。万引きか。
 そのうち「警察呼んでください」という大きな声が聞えた。こりゃいかんと、自動ドアから覗くと、通りがかりの若い女性が携帯電話で110番しようとしている。しかし、手が震えて電話ができない。突然、その女性が「おまわりさん呼んできます」と言って駅前交番の方へ全力疾走で駆け出した。
 路上では中年男が仰向けに倒れ、若い薬剤師がその胸のあたりに馬乗りになり、両膝で相手の両腕を殺し、右手で首を押さえていた。小柄な薬剤師だったが、柔道の心得があったのであろう。中年男は全く身動きが取れない。
 自動ドアから現場を覗いていた私は、交番に走った通りがかりの女性が機転のきく女性で良かったと胸をなでおろしていた。私も110番通報は初体験なのであった。
 警官が到着して、取り調べが始まった。3人の警官が私の職場のショーウィンドーの前に男を座らせ、取り調べをしている。その一部始終がガラス越しに聞えてしまった。
 男は57歳、無職、所持金は数百円。万引きしたのは化粧品を数本、3000円相当であった。これをどうする気だったのかという問いに、女にやりたかったと答えていた。警官の一人が、盗んだ品物をもらったって女もうれしくないだろうと言った。もれ聞こえてきた同年輩の男の話は身につまされるものだった。
 しばらくして、この男もパトカーに乗せられて去って行った。
 このドラッグストアは月に1~2回、香水売り場が立つ。店の前面に半間ほどの棚を置き、輸入香水などが並べられる。少し離れた所で「本日限り」と書いたプラカードを持った、身長190センチはあろうかと思われる大男が「お買い得、お買い得」と声を張り上げている。
 冬のある日、棚の前から歩き去ろうとした、オーバーを着た学生風の男に、この大男が声をかけた。遠くて声は聞えなかったが、学生風の男は即観念して、オーバーのポケットから香水の箱を2つ3つ取り出して大男に渡した。
 大男は学生風の男の腕をつかみ、店内に入ろうとしたが、すぐに外に出てきて2人並んで立っている。店員の女性が出てきて、大男に何か伝えている。事務所が使用中で空かないらしい。
 一般的に万引きの現行犯は、店頭から事務所に移動させて、警察を呼ぶという手順になる。これができないらしい。10分ばかり寒空の中に立っていたが、大男はあきらめて、学生風の男の手を引いて駅前交番の方に歩いて行った。
 いずれも、見ず知らずの若者や中年男の犯罪であるが、この後、彼らにはどんなつぐないが待っているのであろう。割に合わないと思う。
 それにしても「よく見てるねアンタ、ちゃんと仕事してんの?」なんて声が聞こえてきそうである。


その十 菜の花のパスタ

 少々季節外れになってしまったが、菜の花の話である。
 梅の花も盛りになり、1ヶ月後に桜の開花予想が聞かれるころになると、菜の花の黄色い花が目につき始める。
 電車の窓から川原の土手に咲く菜の花を見ると、これを摘んで、菜の花のパスタが作りたくなる。
 今年も埼玉を流れる芝川の川原で菜の花を摘んだ。今どき、関東の川原に咲く菜の花はセイヨウアブラナという外来種らしいが、菜の花は菜の花である。
 満開の菜の花の群に踏み込むと、菜の花のむせるような香りの中に、これから花を咲かそうという蕾をつけた花穂がいくらでもある。穂先から3~4センチのところでつまむと、軽くポキッと折れる。これを、片手でつかめる程度採ってきて、虫などが残らないようによく洗う。
 沸騰した湯に塩を加え、パスタを茹でながら、フライパンにたっぷりのオリーブオイル、にんにく、鷹の爪を加え、ベーコンを炒める。さらに、菜の花をいため、パスタの茹で汁を少々加え、塩・コショウで味を整える。茹で上がったパスタをフライパンに投入、軽く混ぜれば完成である。
 パスタからのぞくべーコンの淡いピンク、菜の花のグリーンの色合いが春らしい。そして、シンプルなのが良い。
 冷えたビールでもあれば言うことはない。しかし、今年はこれに最近おぼえたカボチャのスープをつけた。
 タネとワタをとったカボチャの皮を除き、適当な大きさに切る。玉ねぎをバターでいため、その中にカボチャを投入、コンソメスープをひたひたに加え、柔らかくなるまで煮る。冷めたらミキサーにかけ、鍋に戻して火にかけ牛乳、塩、コショウで味を整える。
 このスープはカボチャの黄色が、まず楽しい。そして、とろりとした舌触りで、カボチャが好きになる。
 カボチャもウチの回りにある家庭菜園で摘んできたいが、そういう訳にもいかない。
 菜の花のパスタは東日本大震災のあと、数年間中断した。福島原発事故による放射能汚染のためだったが、埼玉の川原にも原発事故の影響は及んでいた。
 何の心配もなく、川原の土手で菜の花を摘んで、パスタを食べられる日々が続いてほしいと思う。
  (大川 和良)

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